25歳の僕の歩み

このブログは、私が25歳の時にmixiに書いた日記を改めて読み返し、多少加筆訂正したものです。ご一読頂ければ幸いです。 南無阿弥陀仏

お寺に生まれたこと

2011, 5, 3

 

僕は広島の田舎のお寺に生まれました。僕のお寺は浄土真宗なので、小さいころから「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と当たり前のように称えてきました。

また、田舎なので小学生の時は歩きの集団登校です。その集合場所が、僕のお寺でした。

 

しかも、ただの集合場所ではありません。

 

集まったみんなは、お寺の本堂の中に入って、「讃仏偈(さんぶつげ)」という5分くらいのお経をみんなであげます。お経自体は難しい漢字の羅列ですが、毎日やってるとみんなすぐに覚えてしまいます。だから、お経本を見なくても、いつのまにやら「讃仏偈」は、みんな当たり前のように唱えることが出来ました。

 

とまぁ、そんな感じで過ごしていたのですが、南無阿弥陀仏って称えはするけど、なんのことだかさっぱりわかりませんでした。浄土真宗の教えは、南無阿弥陀仏というお念仏一つで救われる教えだといいます。そのお念仏で、浄土に往生するという教えです。

だけど、僕自身は、「はてさて、なんのことやら?」といった具合です。「念仏はいつも称えてるけど、そんな教えに意味あるんかいな?」ぐらいに思っていました。

 

しかし、そんな僕が「南無阿弥陀仏」と向き合う時が来ました。

 

南無阿弥陀仏」のお念仏は、阿弥陀という仏さまが、頭の先からつま先まで迷いの塊であるこの私を、必ず仏にしてみせるという、阿弥陀仏の一方的なおはたらきでした。そして、我をたのめという仏さまのお喚び声でした。

 

と、これだけ書いてもなんのことやら、さっぱりだと思います。だけど、そのお心が私の心に響き、私が人間として生まれてきた意味、これから先、無常の世の果てに私がどこへ行くのかをはっきり教えていただきました。そして、お寺に生まれさせていただき、こんなに抵抗なく簡単にお念仏を称えることができるようにお育てにあずかってきたことの有り難さを知ることが出来ました。

 

さてさて、さっそく怪しげな日記になってしまったかもしれません。だけど、僕の心の動くままに、これからも書いていけたらと思います。