25歳の僕の歩み

このブログは、私が25歳の時にmixiに書いた日記を改めて読み返し、多少加筆訂正したものです。ご一読頂ければ幸いです。 南無阿弥陀仏

話し手中心のカウンセリング3 -話し手の言葉と感情、そして聴き手の態度-

2011, 9, 26

久々のカウンセリングについての日記です。日記を書くペースが極端にゆるやかになってきましたが、まぁ書きたい時に書けばいいのかなぁと思いつつ、のんびり書いていきたいと思います。

 

さてさて、今回は先日の真宗カウンセリング研究会の月例会でのことを振り返りながら、そのことを通して感じたところを書いてみたいと思います。(月例会では、C. ロジャーズという人の論文をゆっくり輪読していっています。ちなみに、2011/07/23「話し手中心のカウンセリング2 -そのままの自分でいられる場所-」という日記も月例会での話題ですので、よかったらみてみてください。)

  

 

 

今回読んだところは、「積極的な聴き手になること」という章でした。その章の中で、それでは実際にはどうしたらよいのかということで、ロジャーズはまず、その根本的なところを次のように述べています。

「わたくしはあなたのいっていることをあなたの立場で聴いています」というきもちを相手に伝えることなのです。

これは、私の中にわき起こっている思いを少し横に置いておいて、私の立場 ではなく、相手の立場に立って、相手が何を伝えたいのかを聴くという聞き方です。そして、そのような私の態度や気持ちが相手に伝わる。それが積極的な聴き手になるということなんだと、ここでは述べられていると思います。

そして、その聴き方について、少し詳しく説明されていきます。まず、誰かが物をいう場合、そこには二つの面があるといいます。それは、

  • 言葉の意味
  • 言葉の意味の底に流れる気持ち

の二つです。話を聴く場合、この両方の意味を理解すべきだと述べられています。そのことを説明するための例として、組長(上司)と機械工(部下)の会話の例が紹介されています。

機械工が組長のところへやってきて、

「旋盤の取り付けをおわりました」

と報告したとします。この言葉にはハッキリした意味があります。組長はおそらく次の仕事をいいつけるでしょう。しかし、仮りにこの機械工が

「あのいやな旋盤の取り付けをやっと終わりました」

といったとしますと、いった言葉は同じ内容の事実を伝えているのですが、全体としては意味は違ってきます。しかもこの意味の違いは組長、機械工のどちらにとっても重大です。こういったときに神経のゆきとどいた聴き方をするかどうかがふたりの関係を左右するものとなります。かりに組長が機械工の報告をあとのような形で聞きながら、しかもたんに次の仕事を割りあてたとしますと、機械工は自分のいいたいことが完全に解ってもらえたと思うでしょうか。こんな組長に考えていることを腹蔵なく話そうという気持ちになるでしょうか。こんな組長のもとで仕事にやり甲斐を感じるでしょうか。さらに与えられた仕事を一生懸命にやろうという気になるでしょうか。

反対に組長が

「やっかいな仕事が終わってやれやれだね」

とか

「あの仕事には参ったらしいな」

というふうに「君のいいたいことは全部聞いた。わかってるぞ」という気持ちをあらわしたら、どうなるでしょう。

…中略…

機械工の報告を聴いて、組長はいろんなことをしなければならなくなるかもしれませんが、必ずしもこうしなければならないということはないのですから、要するにチョット神経を使うことによって、職場の雰囲気が明るいものとなっていくのです。

ここでは、組長と機械工とのやり取りをとおして、日常生活(仕事場)での何気ないやり取りの中で、「言葉の意味」だけではなく、「底に流れる気持ち」まで受け取ることの可能性を示されていると思います。そしてここのところは、僕自身がカウンセリングにひかれている大きなポイントの一つだと思います。言葉の表面だけでなく、その上側にある感情も丁寧に聴いていく。そのような聴き方からわき起こってくる人間関係に、僕は魅力を感じています。

ただ、例会の中では、このような聴き方を実際の仕事場でするのはとても難しいだろいうという話題も出ていました。会社の中で仕事をするということは、個々の気持ちを尊重していくということよりも、効率化の元に、個々の気持ちを律して、どれだけ会社に尽くすことができるのかということの方が、重要視される場合が多いのではないかということでした。

このような話も聞かせてもらいながら、僕自身の中でもいろいろと考えてみました。その中で思ったことは、僕にはまだ社会人として仕事をした経験もありませんので、具体性に欠ける抽象的な考えかもしれませんが、それでも、ロジャーズの言葉の中にある、「チョット神経を使うことによって、職場の雰囲気が明るいものとなっていく」というところを実生活の中でしっかりといかしていきたいという思いが、今は強くあるように感じます。

チョット神経を使う。それは、「言葉の意味の底にある感情」に気がつくことなんだろうと思います。そして、この気づきのための大きなポイントの一つに、「相手に対する謙虚な態度」ということがあると思います。「自分の思い」はひとまず横に置いておいて、「相手の思い」をそのまま聞こうとする態度。それは、「自分の考えが正しい」という思いを少し横に置いておいて、「相手の考えとはどんなものか」ということを純粋に聴いていこうとする態度です。これは、「相手を尊重する態度」とも言い換えることができると思います。このような態度をとることができるかどうかが、大きなポイントの一つだと思います。

だけど、これは難しい。この難しさの理由は、人によっていろいろな考えがあると思いますが、僕としては、僕自身の心の中に「僕が正しい」という思いが頑として居座っている、つまり、「自分が一番」という偉そうな心が、僕の中にドシンといる、これが難しさの一番の理由なんじゃないかと考えています。

このような自分自身の心は、カウンセリングの中での気づきもありましたが、僕の場合は、特に仏教(僕の場合は浄土真宗)を通して観させてもらいました。だけどそれだけじゃなくて、そうやって「偉そうにしている心」こそ、「全く当てにならない、狂いきって迷っている心」だということも、教えていただきました。

もちろん、そこを教えてもらったからといって、僕自身の「偉そうな心」は相変わらずです。どんなに外側で謙虚そうな態度をとっていたとしても、内側、心の奥底ではモゴモゴと蠢いています。

ただ、それらのことを観せてもらい、教えてもらったことが、僕自身の「話しを聴く態度」というところに繋がってきているように思います。僕の心は、「俺が一番」の偉そうな心。だけど、その心は本当は「全く当てにならない心」。そこのところをひとつおさえておくと、自分の心を少し横に置いておくことがやりやすいように今は感じています。(ここのところが、仏教とカウンセリングが協力し合えるポイントの中の一つではないかと、僕は考えています。) (また、「聴き手の態度」に関しては、2011/05/19「話し手中心のカウンセリング1 -優しさと尊敬の態度-」の日記の中でも取り扱っているので、よかったら読んでみてください。)

 

 

さてさて、今回は真宗カウンセリング研究会の月例会でふれた部分を少し紹介しながら、「言葉の意味の底に流れる気持ち」に気づくための一つのポイントとして、「聴き手の態度」というところを、僕なりのところで書いてみました。

また折にふれてのんびりと、僕自身の思いや考えを言葉にしていけたらと思います。

 

☆☆参考論文☆☆

カール・ロジャーズ著、友田不二男編訳、「カウンセリングの立場」第18章 積極的な聴き手になること。

日曜礼拝 -仏さまの話と子ども達の話-

2011, 9, 19

昨日は日曜礼拝の手伝いに行ってきました。そこでの出来事や思ったことを少し書いてみようと思います。

日曜礼拝は子ども達の集まりで、一緒にお勤めをしたり、仏さまの話を聞いて分級をします。もちろん、その後にはおやつとゲームが待ってたりもします。それから、僕が行かせてもらっているところは、大人の方も一緒に参加されているので、一緒にご法話を聞かせていただいた後に、大人は大人で分級をされています。

だけど、今回の日曜礼拝は子どもが3人しかいませんでした。(いつもはだいたい10人前後くらいは来てくれています。)しかも、そのうち一人は初めて来てくれた小学校一年生の女の子でした。大丈夫かなぁと不安に思いながらも、日曜礼拝は始まりました。

 

そして、お勤めが終わってご法話になりました。ご法話は仏さまについてのお話しだったのですが、子ども達はおとなしくはしていますが、下を向いて足をつついていたり、こっちを見て「まだ?」と訪ねてきたり。「あぁ、この子たちにはしんどい時間だったかなぁ」と内心思いつつ、僕もご法話を聞かせてもらいました。

 

そして、ご法話が終わると分級になります。今日は人数が少ないですが、二つのグループに別れました。僕はもう一人の先生と一緒に、低学年の2人の子達のグループを担当させてもらいました。

僕は、さてどうしようかなぁと思いつつ、

「さっきのお話し、どうだった?難しかったかな?」

と聞いてみました。すると、子ども達からは、

「簡単だった」

「ふつう」

という答えが返ってきました。僕は驚きました。というよりも、内心で「ほんとかなぁ」と疑っていました。

だけど、法話の内容を確認していくと、驚くほどよく聞いてくれていたことがわかりました。

法話は「仏さま」についての話だったということで、その仏さまというのは、

・死なない

・やさしい

・いちばんたいせつにおもってくれている人

・いのちをうばわない人

などのことを発表してくれました。

僕は、この子たちは退屈そうにしていて、全然ご法話の内容を聞いてないだろうなぁと勝手に思っていたんですが、それは大きな間違いでした。たとえ聞く気がないようでも、この子達の耳には、ちゃんと届いていたんだなぁということを知らされました。

また次に、「いのち」の話もご法話の中にあったので、この子達と振り返ってみました。僕達が食べものとして食べているものは、すべて「いのち」があったもの。牛や豚や鳥や魚、それから野菜だってそう。それらの「いのち」をうばって食べている。

それじゃあ、もし自分が食べられる立場になったらどうか。どんな気持ちがするだろうか。

そんなことを子ども達と話し合いながら、最後に、ご法話の中にあった、「仏さま」は僕たちを、人間だけじゃなくて、すべてのものを、自分と同じ「仏さま」にしてあげたいと願っておられるんだよという話をしました。

 

さてさて、そして分級の後はおやつを食べました。今日は人数が少ないので、いつもよりも豪華になりました(笑)

その後にゲームをしたのですが、これまた人数が少ないので、先生達の独断と偏見で、野球盤をすることになりました(笑)最初は文句をいっていた子も、
いざやってみると案外と興味をもってくいついてきてくれました。

ただ、さすがに20分もすれば飽きてきたみたいで、その後はお絵かきやらおんぶやらしながら、ワイワイと遊んでいました。また、僕はその間に他の先生と野球盤で熱戦をくりひろげたりもしていました(笑

 

さてさて、そんなこんなで日曜礼拝は終わったのですが、今回の事で、あらためて「話を聴く」って大事だなぁと感じました。そして、僕自身は相手の事を「ああだ、こうだ」決め込んでいるけれど、それって本当に不確かなものなんだなぁということを思わされました。だからこそ、「自分自身で思い描いている相手」ではなく、「相手自身の気持ち」を大切にしていけたらと、あらためて思いました。

また、こうして子ども達の話を聴かせてもらいながら、仏さまの話をさせていただけるのは、不思議なことだし、うれしいことだなぁと思いました。

 華光 仏の子供大会 最終日

2011, 9, 3

さて、華光 仏の子供大会についての日記も、これが最終回となります。

 

最終日の朝。さすがに子供たちにも疲れの色がにじみ出ています。その疲れは、子供達のラジオ体操によく表れていました。

 

そして、体操の後は朝のお勤めをします。最終日は「重誓偈(じゅうせいげ)」のお勤めをしました。(「重誓偈」は、2011/07/01「阿弥陀という仏さま3」の日記の中で、チラッと出てきています。)

milleface.hatenablog.com

お勤めの後は、ご法話になります。今回も、僕が聞かせてもらったところで、ご法話の内容を書かせてもらおうと思います。

 

これからお話しするのは、「因果の道理(いんがのどうり)」というお話です。これは、簡単に言うと、「原因と結果のルール」ということです。

例えば、ひまわりの種を植えて水をやると、ひまわりの花が咲きます。朝顔の種を植えて水をやると、朝顔の花が咲きます。当たり前のことですが、朝顔の種からひまわりの花が咲くことはありません。ひまわりの種から朝顔の花が咲くこともありません。つまり、善いことをした種からは、善い花が、悪いことをしたら種からは、悪い花が咲きますよということです。

さて、では今から紙を配るので、そこに子供大会の間にした、「善いこと」を書いてみましょう。例えば、班のみんなと仲良くしたとか、スリッパをちゃんと揃えたとか、自分が善いことだと思うことを書いてみましょう。

(紙を配る)

では次に、その紙の裏に、今度は自分のした「悪いこと」を書いてみましょう。

できましたか?それでは、今度はその「善いこと」と「悪いこと」を5点満点で評価してみましょう。とっても善いことだと思ったら、高い点数を。逆に、あんまりたいしたことないなぁと思ったら、低い点数をつけます。

点数をつけれた子は、今度はその点数の合計を出してみましょう。善いことの合計と、悪いことの合計を、それぞれに計算してみましょう。

さて、今年の子供大会のテーマは「心の勉強」でしたね。では、今からその「心」を作ってみたいと思います。本当はみんな一人ひとり作ってもらいたいのですが、今日は時間がありませんので、この中の誰か一人に作ってもらおうと思います。さぁ、誰かやってくれる人はいますか?

(一人の男の子が手をあげてくれる。)

ありがとう。それじゃあ、今から君の心を、この白い粘土と黒い粘土を使って作ってみようと思います。

ではまず、この白い粘土を、君の善い心の点数の分だけとってみてください。

それじゃあ、次にこの黒い粘土を、君の悪い心の点数の分だけとってみてください。

そして、この二つの粘土を混ぜ合わせます。自分の心って、どんな色をしているんでしょうか。混ぜ合わせたら、自分の心の形も作ってみてください。

はい、ありがとう。それじゃあ、自分の座っていたところに戻ってください。

さて、これが○○くんの心です。ではみんなに質問します。この心は何色ですか?

灰色ですね。黒い心、悪い心が混ざってしまっています。それじゃあ、この黒い心を消すために、たくさん善いことをして、白い粘土をどんどん足していったらどうなりますか?

やっぱり、灰色の心ですね。いくら白い粘土を足してみたところで、自分の心は真っ白にはなりません。そして、黒い心は消えない。たとえ忘れていようとも、一度した悪いことは、決して消えずに自分の心の中に残っているんです。

そして、因果の道理、原因と結果のルールに従って、やったことには、必ず責任をとっていかなければなりません。子供大会もいよいよ最終日となりましたが、分級の時間に、しっかりと「自分の心」について考えてみてください。

(おわり) 

 

法話の後は、朝食をとって、班評価があります。昨日の子供達の活躍を振り返りながら、それぞれの班に旗を渡していきます。そして、お昼の反省会の時にもう一度、最後の班評価があります。そこで、今年の子供大会の優勝の班が決まります。

 

班評価の後は、お勤めの作法をして、いよいよ、最後の分級に入ります。

 

今回の分級では、各分級での集合写真を最初に撮ることになっていたので、写真係の先生が来るまで、中身には入らずにのんびりしておくことにしました。

その中で、何人かが黒板にお絵かきをしていたので、せっかくなのでみんなで「お絵かき対決」をしてみることにしました。お題は何にしようか迷ったのですが、ちょっと難しいのがいいの思ったので「クッパ」にしました。(ちなみに、クッパアメリカでは「バウザー(Bowser)」というそうです。なんだか言葉の響き的に、クッパよりも強そうですね(笑))

そして、絵を書いている途中で写真係の先生が来て下さったので、分級の集合写真をとりました。ポーズもみんなでワイワイ考えて、楽しかったです。

写真の後は、お絵かき対決の投票へ。一人2回ずつ手を挙げてもらって、多数決で決めました。優勝したのは、小さな可愛いクッパ。書いた子は、嬉しそうにニシシと笑っていました。いやぁ、ほんと子供達はかわいいもんです。(ちなみに、僕のクッパにも3票入りました(笑))

さぁ、そして分級の中身に入っていきます。

いよいよこれが最後の分級です。そのことを改めてみんなに伝えた上で、ご法話の内容確認に入ります。いつものように、一人ずつ覚えているところを発表してもらい、それを黒板に板書していきます。

その後、分級の時間に書いた「善いこと」と「悪いこと」を発表してもらいました。(だけど、無理に言う必要はないので、言いたくない事は、言わなくても大丈夫。ただ、その言わなかったことも自分のやったこととして、自分自身で受け取ってあげてねと前置きをいれておきました。)

一人ひとりの発表が終わったら、昨日までの流れ(「心」「罪悪」「地獄」「無常」など)をおさらいしました。

そして、今までの内容も含めて、「仏法を聞く」ということについて、僕が聞かせていただいているところを、子供たちに話していきました。(ここからのやり取りは(今までもそうですが)、今僕自身が浄土真宗のみ教えというところでお聞かせにあずかっているところですので、何か訂正すべきところやご意見等ございましたら、またコメントやメッセージをいただければ幸いです。)

仏法は、「私独り」のところで聞かなければなりません。それは、たった独りでこの世から出ていかなければならないからです。他の人が聞いたかどうかは関係ありません。「この私」が聞いたかどうかということが大事です。

そして、仏さまの話はとても大切なお話です。それは、いのちに関わる話だからです。

昨日も聞きましたが、自分が死んだらどうなるのか、もう一度、よく考えてみましょう。

そして、これは最後の分級の時間です。僕はこれから、仏さまがみんなに、独り独りににどのようにおっしゃられているのか、どのように願ってくださってるのかというお話をしたいと思います。

だけど、さっきも話したように、仏さまの話は、いのちに関わる大事なお話です。そして、仏さまの話を本当に聞いて、仏の子供になるためには、仏さまの話を、いのちをかけて聞く必要があります。それができますか?

仏教は独りで聞いていかなければなりません。これはみんなの問題ではなく、独り独りの問題です。独り独りのところで、よく考えてみましょう。

さて、阿弥陀という仏さまは、自分の力では決して仏に成ることが出来ない人、悪いことばかりして、次から次に地獄へ落ちていく人たちを見て、それを悲しまれ、その人たちをなんとか救いたいと思われました。

どんな人でも必ず救うことができる方法をものすごく長い間、考えに考えて、ついに考え抜かれました。

そして、厳しい厳しいご修行をされました。しかし、阿弥陀さまはどんなに苦しい修行でも、一度も後悔されることはありませんでした。阿弥陀さまは、

「これで必ず、間違いなく、あなたを救うことができる」

とすでに確信しておられ、自ら進んで苦難の毒に沈んで行かれました。

そして、ついに完成されたのが、この「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀さまは、自身のすべての修行の成果を、この「南無阿弥陀仏」の六字に込められました。そして、私たち独り独りに、

「どうか、どうか私を信じ、私をたのみ、南無阿弥陀仏と称えておくれ」

と頭を下げてたのんでおられます。

本当はね、こっちから、

「助けてください!」

とたのまないといけないのに、阿弥陀さまの方から、

「どうか称えておくれ。どうか助けさせておくれ。」

とたのんでくださっているんだよ。

さぁ、それじゃあみんなは、阿弥陀さまを信じて、お念仏を称えることが出来ますか?

この時、一人の女の子がうつむいて泣いていました。

隣の男の子に聞いてみます。

「○○くん、どうだい?」

彼は正直に、

「まだよくわからない」

と答えてくれました。そして、その気持ちをそのまま返させてもらいながら、そうやって自分の気持ちを偽らない事が仏さまの話を聞く上ではとても大切だよと伝えました。そしてもう一つ。そんな○○くんに向かって、阿弥陀さまは頭を下げているんだよということを伝えました。

そして、うつむいて泣いている子に話しかけました。

「言葉にできるところでいいから、○○ちゃんの今の気持ちを話してごらん。」

彼女から言葉は返ってきませんでしたが、この子に中に何かが響いているんだと思い、阿弥陀さまの話、南無阿弥陀仏の話を、ゆっくり話していきました。すると、小さな声で、

「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」

と手を合わせて称え始めました。僕はその姿をみて、

阿弥陀さまはね、お念仏称えてくれてありがとうって言ってるよ。○○ちゃんの口から出てきたお念仏が、○○ちゃんの耳に聞こえるかい?それはね、仏さまの声だよ。○○ちゃんにずーっと引っ付いてきてくれた仏さまの声だよ。○○ちゃんを必ず救ってみせるっていう仏さまの声だよ。」

ということを伝えました。

そして、隣の子に話しかけます。

「○○ちゃんはどうかな?」

その子は最初の男の子と同じように、

「まだよくわからない」

と答えてくれました。その子は、涙を流していました。僕は、同じようにその気持ちをそのまま返し、そんな○○ちゃんに、阿弥陀さまは頭を下げてくれているよということを伝えました。

そして、隣の子に話しかけます。その子は泣いていました。そして、

「今度から一生懸命がんばる」

と答えてくれました。僕は、彼女の中にも何か響いているんだなぁと思い、

「それじゃあ、いつがんばるんだい?」

と聞いてみました。すると彼女は、お念珠を取り出して、手を合わせて、

「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」

と称え始めました。僕はその姿を見て、

「がんばらなくてもいいんだよ。○○ちゃんががんばらないといけなかったことは、全部、阿弥陀さまがやってくれてたんだよ。阿弥陀さまは○○ちゃんに、ただお念仏を称えておくれって言っているんだよ。そこに、○○ちゃんを救うための力が全部込められているよっておっしゃっているんだよ。」

ということを伝えました。

そして、隣の子に話しかけます。すると、彼女は僕に聞きたいことがあると言って、阿弥陀さまのことについて質問してきてくれました。そして、その質問にゆっくり応えていると、彼女は涙を流しながら、

「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」

と称えてくれました。

そして、隣の子に話しかけます。彼女は、

「よくわからない」

と答えてくれました。その気持ちをそのまま返さしてもらってから、そんな○○ちゃんに、阿弥陀さまはこうやって頭を下げているんだよと、彼女に向かって頭を下げながら、そのことを伝えました。

そして、隣の子に話しかけます。その子は、

「よくわからない」

と答えてくれました。だけど、何かもっと言いたそうな雰囲気を感じたので、

「どんなことが分からないんだい?」

と聞いてみました。そして、彼女は涙を流しながら話してくれました。その彼女の言葉にゆっくり応えているときに、彼女は、

「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」

と手を合わせて称え始めました。僕は、

「地獄に落ちることも、阿弥陀さまのことも、信じれなくてもいいんだよ。阿弥陀さまはね、そんな○○ちゃんの心の中も、ちゃんと知っておられたんだよ。阿弥陀さまね、そんな○○ちゃんのために、南無阿弥陀仏の中に、信じる心までつくって下さったんだよ。南無阿弥陀仏が、○○ちゃんの信じる心になってくれるんだよ。だからね、今の気持ちのままでいいんだよ。そのまんまの○○ちゃんのまま、お念仏称えてごらん。」

ということを伝えました。

そうして一周回ったところで様子をみてみると、最初に話しかけた男の子がそわそわしていました。僕はその子に話しかけてみました。

「いいんだよ。今からでもいいんだよ。いつでもいいんだよ。お念仏称えてごらん。」

そのことを伝えると、彼は出しかけていたお念珠を手にかけて、手を合わせて小さな声で、

「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」

とお念仏を称え始めました。

そうして一人ひとりに話している間にも、何人かの子供達の念仏がポツリポツリと聞こえてきていました。

そして、僕が聞かせていただいているところを、改めて話していきました。

阿弥陀さまは、私の罪の身代わりになって下さっている。しかも、決して後悔せずに、よろこんで。私一人を救うために、よろこんで地獄の業火の中に飛び込んでくださっている。

そんな阿弥陀さまは、この私にそのまま来いとおっしゃっている。仏を信じる心までも、南無阿弥陀仏の中にこめてくださっている。自分のすべての修行の成果を、南無阿弥陀仏の中に込めてくださっている。

自分の口から出た南無阿弥陀仏が聞こえるかい?それは仏さまの声だよ。

お念仏を称えると、阿弥陀さまはみんなに、

「ありがとう」

と言ってくださる。

「お前を絶対に地獄へ落としはしない。それどころか、私と同じ仏に必ずしてみせるぞ。」

とおっしゃってる。

人間に感謝を伝えるときの言葉は「ありがとう」。だけど、阿弥陀さまに対する御礼は「南無阿弥陀仏」。

昔、蓮如上人(れんにょしょうにん)という方がおられたんだけど、その方のお弟子さんがある日、「南無阿弥陀仏」と書かれた紙が燃えた時に、それが仏さまになったのを見られて、その不思議なできごとを蓮如上人に御報告したところ、蓮如上人は、

「そんなことは、全然不思議じゃないよ」

と答えられたんだそうです。そして、こうおっしゃられました。

南無阿弥陀仏は仏さま。仏さまが仏さまになったんだから、それは全然不思議なことではないよ。そんなことよりも不思議なことは、この黒い心の私から、真っ白な仏さまの南無阿弥陀仏が出てくることだよ。こんな愚かな私が、仏さまに成らせてもらうということこそが、不思議なことなんだよ。」

蓮如上人はお弟子の方に、このようにおっしゃられました。

さて、最初にも話したけれど、仏さまの話は自分独りのところで聞いていかなければならないよ。だって、もしも死ぬ前に僕が、

「ごめん!今までの話、全部ウソやった!」

なんて言ったらどうする?そうじゃなくって、自分と自分の仏さまのところで聞いていかなければならない。自分のこの口から南無阿弥陀仏と出てきてくださる仏さまに聞いていかなければならないんだよ。

そして、最後に何か聞いておきたいことはないか子供たちに尋ね、特にないようだったので、この四日間、この分級の時間を共に作ってきてくれたことに対する御礼を言って、最後の分級を終わりました。

 

分級の後は、昼食をとって閉会式となります。「らいはいのうた」のお勤めをした後に、最後のご法話があります。ただ、恥ずかしながら、この時のご法話のことを、僕はほとんど覚えていないんです。しっかり聞かせてもらおうと意気込んでいたのはいいのですが、うつらうつらと意識がもうろうとしていて。

ちなみに、帰りの車の中で、

「毛利さん、最後のご法話の時に寝とったでしょ?」

と笑いながら指摘されてしまいました。

「いやいや、意識はちゃんとあったんですよ」

とその時には答えたのですが、次の日、いざ思いだそうとすると、ほとんど何も思い出せませんでした。まったく、お恥ずかしいことです。

 

そして、閉会式の後は、全体の反省会があります。そこでは、各分級からの代表が、分級でのできごとをや、子供大会の思い出などを発表します。そして、その発表の後に、最後の班評価がありました。班評価では、本当にいろいろと悩まされました。(その分、とてもいい経験になったとも感じています。)そして、優勝の班を発表すると、その班の班長も副班長もきょとんとした顔。だけど、トロフィーやメダルをもらうときには、班員全員、とてもうれしそうな顔をしていました。

そして三泊四日の仏の子供大会も、あっという間に終わりを迎えました。バスで帰る子、車で帰る子。それぞれに大きな荷物を抱えて、帰っていきました。

僕は残って後片付けをする側になり、それをすますと、おやつで残っていたガリガリくんをスタッフの人たちと食べながら一息ついて、海ぼうずを後にしました。

 

今回の子供大会は、僕にとって強烈に印象に残るものとなりました。それだけに、こうして日記として書いてみたいという思いと、はたしてうまく書けるのだろうかという思いが、僕の心の中でごちゃごちゃとありました。その心は、今も僕の中にまだ少し残っているようです。ただ、こうして文章にさせていただいたのは、僕自身が仏の子供大会での体験を整理し、味わわせていただく機会にもなりました。

長い日記になりましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

 

南無阿弥陀仏

華光 仏の子供大会 三日目

2011, 9, 1

さて、前回に引き続き「華光 仏の子供大会」についての日記です。今日はイベント盛りだくさんの三日目です。

 

昨日と同じように、朝はラジオ体操から始まります。体操を終えると、朝のお勤めをします。(二日目の日記では、ラジオ体操の後に朝食と書きましたが、プリントで確認してみたら朝食はご法話の後でした。)

三日目のお勤めは「讃仏偈(さんぶつげ)」です。(「讃仏偈」は2011/05/03「お寺に生まれたこと」や2011/06/27「阿弥陀という仏さま1」の日記の中に登場してきますので、よかったら参照してみてください。)

 

そして、ご法話です。今日の法話は僕が担当させてもらったので、原稿のデータがあります。なので、少し長くなりますが、それをここに載せさせてもらおうと思います。

 

おはようございます。これからご法話をさせていただく毛利といいます。足は楽にしてもらって構わないので、これからのお話しをしっかりと聞いてください。

では早速、みんなに質問します。みんなは今までに、お友達やお父さん、お母さんにこんな話をしたことがありませんか?

「ねぇねぇ、明日どうする?何して遊ぶ?」

「ねぇねぇ、明日の授業ってなんだっけ?」

「あ~あ、早く夏休みになんないかなぁ」

「よっしゃ!夏休みになった!よーし、夏休み何して遊ぼっかな~♪」

どうですか?

(何人かに夏休みの予定などを聞いてみる。)

それじゃあ、こんな話はしたことがありますか?

「ねぇねぇ、もしかしたらこの夏休みの間に死ぬかもしれないんだけど、どうする?」

どうですか?

(何人かに聞いてみる。)

しませんね。せっかく楽しい夏休みがやってきたのに、こんな話をすることは、まずないと思います。だけど、実は仏さまの話をするということは、この、

「もしかしたら夏休みの間に死ぬかもしれない」

もっと突き詰めて言うと、

「もしかしたら、明日、いや、もしかしたら今日、死んでしまうかもしれない」

というお話をするということなんです。

 

さてみなさん、今年の子ども大会のテーマはなんでしたか?

(誰かに答えてもらう。)

そうですね。「心の勉強」です。

(「心の勉強」と板書)

そして、今日のご法話で勉強することは、これです。

(「無常」と板書)

この漢字、何て読むか分かりますか?

(誰かに答えてもらう。)

そうですね。「むじょう」と読みます。

(「むじょう」と振り仮名を板書)

今日は、この「無常」ということを通して、「心の勉強」をしていきたいと思います。

さて、では「無常」とは一体どういう意味でしょうか?

(何人かに聞いてみる。)

うん、ありがとう。「無常」ということは、「常では無い」ということ。「常」とは「いっつも」とか、「いつまでも」という意味です。それが「無い」。つまり、「いっつもじゃ無い」「いつまでもじゃ無い」ということです。

僕たちは今、人間として生きているけど、その「生きている」ということが「いつまでもでは無い」ということ。つまり、生きている以上、ずっと生きているわけでは無くて、いつかは必ず死んでいかなければならないということです。

生きているんだから、死んでいかなければならない。これって、誰でも知ってる当たり前のことだよね。

それじゃあこのことを、普段みんなは考えていますか?もしくは、学校の授業で

「みんな必ず死ぬんだよ」

と教えてもらったりしますか?

(何人かに聞いてみる。)

そうですね。普段、考えることでもないし、学校で教えてもらうことでもありません。

だけど、この「死ぬ」、つまり「無常」というのは本当のことです。そして、僕たちが普段考えていなくっても、仏さまはこの「無常」ということをよーく知っておられます。そして、みんな独り独りに、

「あなたが生きているこの世界は、無常の世界だよ!とっても苦しくて、いつ死ぬか分からない危ない世界だよ!」

と叫んでおられます。

 

さて、それじゃあここで、少し、僕のおばあちゃんの話をしてみたいと思います。これは、僕が小学校3年生の時のお話です。

僕はその頃、学校の宿題をするのが大嫌いでした。みんなはどうかな?だから、いつも宿題は適当に片づけて、遊んでいました。

だけど、そんな僕をおばあちゃんは晩御飯が終わった後にいっつも捕まえて、

「宿題をみせてごらん。」

と言います。そして宿題をみせると、

「ここは違うよ。ここも違うよ。」

と宿題をチェックしてくれていました。特に国語は、きちんと全問正解するまで、ずっとつきっきりで教えてくれていました。正直なところ、これは僕にとってめんどくさいことでした。

だけど、学校に行って宿題を出すと、僕はいつも、全問正解しているので、国語の時間によく先生にほめてもらいました。そのことは、とても嬉しかったので、文句を言いながらも、毎日おばあちゃんに宿題をみてもらっていました。

それから、僕はおばあちゃんがつくる「うどん」が大好きでした。熱いスープにやわらかい麺、そして黄身がとろとろの卵がのっかったうどん。おばあちゃんは、「たまさんうどん」と言っていました。僕はよくおばあちゃんに頼んで、大好きな「たまさんうどん」を作ってもらいました。

僕のおばあちゃんは、そんなふうに面倒見がよくって、とってもやさしい人でした。

そして、その年のお正月。僕はお父さんとお母さんと妹と一緒に、お母さんの実家に3日間行きました。僕は従兄のダイちゃんと一緒にテレビゲームをして遊ぶのが大好きだったので、とても楽しい3日間でした。

そしてまた、みんなで家に帰ってきました。すると突然、僕と妹は近所の家に預けられることになりました。いきなりのことだったけれど、僕はその家のおばあちゃんもおじいちゃんも好きだったので、平気でした。

そして、ずいぶんと時間が経って、もう辺りが真っ暗になってきたころに、お父さんとお母さんが迎えに来てくれました。

そして家に着くと、大事な話があると言って、僕と妹を畳の上に座らせました。そして、おばあちゃんが亡くなったことを教えてくれました。今はもう、その時に僕のお父さんとお母さんがどんなことをしゃべったのかは覚えていませんが、僕はそれを聞いて涙を流しました。でも、悲しい気持ちや苦しい気持ちは、その時は全くありませんでした。だから、僕は自分が涙を流しているのがとても不思議でした。その不思議な感じだけは、今もよく覚えています。

僕はその夜、寝るときになって、ようやく悲しくなってきました。そして、ふと思いました。

「僕は子どもだから、お父さんやお母さんも僕より先に死ぬことになるのか。お父さんやお母さんが死ぬのか。」

お父さんが死ぬことも、お母さんが死ぬことも、うまく想像することはできなかったけれど、それがあるんだということは、このときはっきりと感じました。僕は、そのことを考えると、とても怖くなりました。これから先、生きていくと、お父さんの死も、お母さんの死もやってくるのか。そのことを思うと、この先、ずっと生きていくことがとても怖くなりました。

そして次の日。おばあちゃんの遺体が病院から帰ってきました。僕は亡くなったおばあちゃんと対面しました。そこには、いつものおばあちゃんがいました。ただ、鼻や耳に、何か綿のようなものが詰められていました。お母さんにその事を聞くと、

「死んだ人は力が抜けて体液が出てくるから、ああして詰め物をするんだよ。」

と教えてくれました。だけど、僕にとって、それはとても不思議なことでした。確かに、手や顔を触ると冷たいんだけど、見た目はいつものおばあちゃんです。

「おばあちゃんは、ほんとに死んでいるんだろうか?」

僕にはそんな疑問がわいていました。おばあちゃんの姿は、僕には、いつものようにただ眠っているようにしか見えませんでした。

そして、僕はそのことを確かめてしまいます。僕は、家族のみんなが他の部屋に行っている時、こっそりおばあちゃんのところへ一人でやってきました。そして、おばあちゃんの生きている時と変わらないようなきれいな顔を覗き込んで、おばあちゃんの閉じられた瞼を指で開きました。そして、おばあちゃんの目を見ました。

それを目を見た瞬間、僕は驚いて後ろに飛びのきました。その目は、死んだ人の目でした。そのことは、おばあちゃんの目を見た瞬間に、はっきりと分かりました。そしてそれだけじゃなく、僕はおばあちゃんのことを恐いと感じました。

僕はようやく、おばあちゃんが死んでいることが本当に分かりました。

 

僕とおばあちゃんの話は、これでお終いです。

そして、今僕が仏さまの話を聞かせていただいて思うのは、おばあちゃんは僕に、本当のことを教えてくれたということです。おばあちゃんは僕に、

「人間は本当に死ぬ」

ということを、その身を持って教えてくれました。おばあちゃんは僕に、

「仏さまのおっしゃられていることは本当だよ」

ということを教えてくれました。

「無常ということは本当だよ」

と教えてくれました。

でもね、無常ということはそれだけじゃありません。人間が「死ぬ」ということは、いつ訪れるか分かりません。誰が、いつ、どこで、どうやって死ぬか分からない。それは、いつ死んでもおかしくないということです。

じゃあ、みんなはどうですか?みんなにはそのことが分かりますか?「無常」ということが、本当に分かりますか?

僕はぜひ、みんなにそのことを考えてもらいたい。そして、そのことを考えることができるのは、人間だけです。人間だけが、無常を考えることができる。人間だけが、心の勉強をすることができる。

仏さまは、

「みんないつ死ぬか分からないよ!危ないよ!この世界は無常だよ!だから、どうか私の話を真剣に聞いて、早く仏の子供になっておくれ!」

と叫ばれています。

じゃあ、みんなは?僕の話を聞いても、

「いつ死ぬか分からない」

なんてそんなこと思えないかもしれない。

「ひょっとしたら今、死ぬかもしれない」

なんてそんなこと全然感じられないかもしれない。

だけど、「無常」を感じることはできなくても、考えることはできる。無常というのは本当のこと。そのことにしっかりと目を向けて、自分の心で真剣に考えてほしい。

僕の話は、これで終わります。ありがとうございました。

(おわり)

法話の後は、朝食を食べて、班評価、班会議、お勤めの作法がありました。

 

そして、三日目の分級に入ります。二日目と同じようにしばらく雑談をしていたんですが、ふと思いついて、みんなで「南無阿弥陀仏」を黒板に書いてみることにしました。この分級にいる子供は7人。なので、「南無阿弥陀仏」の一文字ずつと、アメリカから来てくれた子は平仮名は書けるということだったので、「なもあみだぶつ」という振り仮名を書いてもらうことにしました。

今まで何度も見たことがある六字ですが、いざ書いてみようとなると、なかなか出てこないようで、特に「弥」とか「陀」のあたりは、だいぶ苦戦していました。ただ、中には「仏」の旧漢字「佛」を知っている子もいて、驚かされました。そんな子供たちの姿は、見ていてとても微笑ましかったです。

さて、そして完成した「南無阿弥陀仏」に向かってみんなでお念仏を称えて、分級の中身に入っていきます。

まずは二日目と同じようにご法話の内容を確認するため、一人ひとり覚えていることを発表していってもらいました。「南無阿弥陀仏」は黒板の真ん中に書いていたので、その両サイドにみんなの発言を板書していきます。

その中で、僕のおばあちゃんの話のことをよく覚えてくれているようだったので、今までに周りの人の死に出会ったことがあるかどうか、聞いてみました。すると、3人の子が手を挙げてくれたので、言葉にできる範囲で、その時のことを話してもらいました。

そして次に、ご法話の最後の方で少し話したこと、「仏法は人間しか聞けない」ということについて、『こどもの聖典』を開いてみていくことにしました。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道の世界が書かれているページを開き、その一つ一つの世界をみながら、なぜ仏法が他の世界では聞けないのか、みんなの意見を聞きながら、一緒に確認していきました。(このことについては、2011/05/11「三世と六道」と2011/05/17「人間に生まれた意味」という日記の中で詳しくふれているので、よかったら参照してみてください。) 

さて、そして改めて無常の話に戻ります。無常というのは本当のこと。その例として、東日本大震災の話や戦争の話を子供達としました。

無常というのは本当のこと。僕たちは、必ず死ななければならない。そして、「死」はたった独り。たった独りでこの世から出ていかなければなりません。どんなに仲のいい友達も、家族も、一緒についてきてはくれません。たった独りで出ていかなければなりません。

そして、子供達に聞いてみました。

「みんな、死んだらどうなると思いますか?」

一人ひとりの正直な今の思いをゆっくりと聞いてみると、みんな、

「地獄に行くと思う」

と答えました。

この答えは、実は僕にとっては意外なものでした。だけど、みんなはこれまでの話をちゃんと考えながら聞いてくれていたんだなぁと思わされました。

だからこそ、改めて聞いてみました。

「みんな、本当に地獄に行くと思っていますか?」

仏法は、わけもわからんことを頭ごなしに覚えていくような教えではありません。しっかりと、自分自身を素直に観ていく必要があります。

すると、一人の子が、

「悪いことしてるから地獄に行きそうな気もするけど、誰も見たことがないんだし、地獄があるかどうかわからない。」

と答えてくれました。また別の子達もゆっくりと発言をしてくれました。

「死について考えるのは悲しい。怖い。」

「もし本当に地獄があるのなら、怖い。行きたくない。」

「もしいつ死ぬのかが分かるんなら、それまでに仏の子供になりたい。」

この子たちは今、この子たちなりのところで、「無常」に向き合ってくれている。そのことが、ひしひしと伝わってくるようでした。

 

ここで、少し休憩を入れることにしました。みんなそれぞれお菓子を持ってきたり、おしゃべりをしたりしています。その中で、ある子が、アメリカから来てくれた子からもらったクッキーを持ってきてくれました。そのクッキーはアメリカの友達と一緒に作ったもののようで、プレーンやチョコ、それに抹茶味もあり、形もプーさんなどとてもかわいらしく、きれいにできていました。そのクッキーを分級のみんなでワイワイおしゃべりしながらいただきました。

また、休憩中に、ある子に分級の感想を聞いてみました。そうしたら、

「怖かった。だって先生、死ぬこことか怖い話するんだもん。」

とその時は休憩中の和やかな雰囲気の中で笑いながら答えてくれました。僕はその言葉を聞いて改めて、本当にそうだなぁと思いました。そして、あぁ、ちゃんと僕の話を聞いてくれているんだなぁと思いました。

 

さて、そして再び分級に戻ります。仏の子供大会では、仏さまの話を聞かせていただくんですが、それには二つの心を聞いていく必要があります。一つ目は「私の心」。実は、いままではこの「私の心」のお話でした。仏さまから見た私の心について、罪悪や無常ということを通して観てきました。そして、みんなは本当に、それらのことを真剣に考えてくれているようでした。

なので、これかもう一つの心について、お話ししていきたいと思います。もう一つの心とは、「仏さまの心」です。仏さまの話を聞くということは、「私の心」と「仏さまの心」、この二つを聞くということなんです。そして、仏さまの心の話。それは、最初にみんなで書いた、この「南無阿弥陀仏」のお話です。

実は、この南無阿弥陀仏という漢字自体には、意味がないんです。別に「南に無い」というわけでもありませんし、「阿弥陀」という漢字自体にも意味はありません。

これは元々、インドの言葉だったんです。「南無」というのは、インドの「ナマス」という言葉で、「ナマス」と発音の似た漢字を当てはめて「南無」としたんです。ちなみに、意味を訳したら、「帰命(きみょう)」という言葉になります。このように、仏教の漢字の言葉には、インドの言葉の音をそのまま漢字にしたものと、言葉の意味を考えて漢字にしたものとがあるんです。

そして、「ナマス」とは信じる、おまかせする、よりどころとする(無上帰依処)、あてたよりとする、といったような意味があります。つまり、南無阿弥陀仏には、「阿弥陀という仏さまを信じ、よりどころにします」という意味があるんです。

さて、今から約2,500年前のインドにお釈迦さまがお生まれになりました。そしてお釈迦さまはご修行をされて仏さまに成られ、多くの人々に教えを説いていかれました。その教えが仏教です。

その教えを聞かれたインドの方々が中国へと伝えて下さり、そこで教えをインドの言葉から中国の言葉へ翻訳して下さいました。それはもう、とてつもなく大変なことだったと思います。

そして、中国から日本へと伝わり、日本でも、僕達が生きている今の時代までずっと伝わってきた教え。それが仏さまの教え、仏教です。

 

このあたりまで話した時、ちょうどいい時間になっていたので、今日の分級はここで終わっておきました。

 

そして、午後からは追跡ハイキングです。追跡ハイキングとは、道や壁などにつけられた「→」や「×」などの印を探しながら、目的地を探していくハイキングのことです。また、途中でチェックポイントもあり、そこでクイズが出されたりします。ゴールまでのタイム、印を見つけた数、クイズの正解率などを総合して、班対向で得点を競い合います。

僕は昨年と一昨年の子供大会では、班付きの先生として子供達と一緒に周っていたんですが、今年は初めて、チェックポイントのスタッフの一人として参加させてもらいました。なので、みんなよりも一足先に昼食を食べさせてもらって、同じ追ハイ係の先生達と一緒に印をつけに出発しました。(この時の昼食は、タコ飯と昨日のバーベキューの残りを焼きそばやチンジャオロースーなどにして下さったもので、ものすごく美味しかったです。バーベキューの残り物をこんなに美味しくしてくださった海ぼうずのスタッフの方々には、驚かされました。)

日差しが強く、とても暑い日でしたが、子供達はどれだけ見つけられるかなぁと想像してウキウキしながら、同じチェックポイント役の先生方とチョークでいろんなところに印をつけていきました。

また、僕のチェックポイントではクイズに加えて、班の「モットー」と「うた」を発表してもらいました。大きな声でとは言いましたが、どの班の子達もビックリするくらいの声で、「モットー」と「うた」を力いっぱい叫んでくれました。その光景が、二日目の夜の時とは大違いだったので、僕は本当に驚かされました。昨日はあんなに恥ずかしそうにしていた子も、何かふっきれたように、大声で叫んでいました。外の開放的な雰囲気って、本当にすごいんだなぁとつくづく思わされました。

また、ゴール地点では、班員の一人が熱中症で倒れたときにどうするかという即興劇をやってもらいました。中には、

「だれかーっ!!」

と叫ぶ子や、本当に自分のタオルを濡らしてきて処置をするような子もいました。

 

さて、楽しかった追跡ハイキングが終わった後は、急いで帰って班会議。夜のキャンプファイヤーのスタンツに向けて、各班ごとに小道具を作ったり、練習をしたりと、時間ぎりぎりまでがんばっていました。

 

そして、夕食を食べて、いよいよキャンプファイヤーへ。キャンプファイヤーは二日目に泳いだところのすぐ近くの浜辺でやりました。

歌やゲームを交えながら、いよいよ各班のスタンツが始まりました。全員参加型のクイズをする班、マリオと仏さまの劇をする班、アンパンマンとAKBの劇をする班、ナンパ男とまじめな男が女の子をめぐってダンスバトルを繰り広げる班。子供達の発想力とパワーに驚かされましたし、何よりとっても楽しませてもらいました。

 

そして、楽しかったキャンプファイヤーも終わり、帰ってきたら気持ちを落ち着けるための簡単なゲームをして、連絡事項などを簡単に済ませて、子供達は就寝。

 

この後、大人たちは反省会へ。今日一日の反省と、最終日の役割の打ちあわせをして、各班のアピールタイムに入ります。三日目ということで各班の中にもだいぶ結束力が高まってきており、加えて今日は追ハイにスタンツに、大きなイベントが二つもあったので、評価してあげたいポイントはたくさん出てきました。僕自身も、子供達のいきいきとした姿を今日一日だけでたくさん見させてもらったので、できるだけ、それらをすべて包括できるような評価がしたいと思っていました。なので、その分この日の班評価は、いつにもまして難しいものとなりました。

結局、反省会の後、一人残ってやっていると、またベテランの先生が一人、助けに来て下さり、お陰でなんとかまとめることが出来ました。この日は法話や追ハイやキャンプファイヤーの準備もあり、体力的にも精神的にもかなり疲れていたので、本当に助かりました。

 

さて、そしていよいよ明日は子供大会の最終日。その事を心に刻みながら、眠りに就くことにしました。

 

つづく

 華光 仏の子供大会 二日目

2011, 8, 30

前回に引き続き、華光 仏の子供大会についての日記です。さて、今日は二日目について書いてみたいと思います。かなり長くなってしまいましたが、よろしければお付き合いください。

 

子供大会の朝は、ラジオ体操から始まります。早起きすると、やっぱ眠たいですが、早朝のラジオ体操はなかなかに気持ちいいです。子供たちは眠たそうに体操していましたが(笑)

 

体操の後は、朝食をすませて朝のお勤めに。お勤めは、昨日と同じく「らいはいのうた」をしました。

 

そして、ご法話です。前回の日記で書き忘れていたんですが、仏の子供大会のご法話には、それぞれテーマがあります。

まず初日は「テーマの明確化と問題提起」(テーマは、子供大会全体のテーマのことで、今年は「心の勉強」です。)

二日目は「罪悪」

三日目は「無常」

四日目は「因果の道理と後生」

そして午後の閉会式に「救い」というふうになっています。仏の子供大会が三泊四日という長い期間でやるのは、このようなテーマにそって、日ごとに内容が深まっていくことにも起因しています。

さて、そして二日目のご法話は「罪悪」です。ここでも、僕が聞かせてもらったところでご法話の内容を書いてみようと思います。

 

今年の仏の子供大会のテーマは「心の勉強」です。昨日のご法話でもありましたが、心っていったいなんなんでしょうか?

今日はその心を、私の一日の生活を振り返りながら見てみたいと思います。(イラスト付きの一日の図を前に張る。)これは、朝起きてから寝るまでの私の一日です。

私(ご法話をされている先生)は薬の勉強をする大学にいっています。ここにネズミを持っている絵がありますが、私はネズミを使って薬の実験をしています。ネズミを捕まえて、しっぽのほうに注射で薬を注入して、薬の効果を試しています。

みんなは薬を飲んだことがあると思うけれど、その薬ができるまでには、ネズミや犬、猿などいろんな動物実験が行われています。そうやって、人間が使っても大丈夫かどうか調べるんです。

私はこのような動物実験をして薬を作ることを悪いことだとは思っていません。だって、それで人を助けることが出来ます。

だけど、動物を殺すことは罪です。生きものの命を奪うことは、罪なんです。私の心がどう思っていようと、それは悪いことなんです。そのことを、仏さまはよーくご存じなんです。

また、私は焼き鳥が好きです。なので、この日は夕ご飯に友達と焼き鳥を食べに行きました。それじゃあ、この焼き鳥は何からできていますか?

もちろん鳥ですね。鳥を殺してできています。それをおいしい、おいしいと私は食べています。

またそれだけじゃなく、その時に友達の悪口を一緒に来ている友達と話していました。それも、とっても楽しく話していました。

だけど、鳥を殺すのも、友達の悪口をいうのも罪です。私がどんなにおいしく食べようが、どんなに楽しそうにしゃべろうが、それらは罪です。そのことを、仏さまはよーくご存じなんです。

そして、それだけではなく、これらの罪には、すべて心の罪が引っ付いています。自分たちが助かるなら、他の命はどうなってもいいという心。他の命を殺して、食べたいという心。友達のことを悪く思う心。そんな悪い心が、私の中にはあります。そのことを、私は仏さまから教えてもらっています。

では、みんなの心はどうですか?みんなの中には、どんな心がありますか?自分の心は、仏さまにはどのように見えているんでしょうか?

今年の仏の子供大会のテーマは「心の勉強」です。仏さまの鏡に照らしてもらって、自分の心をしっかり観てみましょう。

(おわり)

 

法話の後は、班評価の発表や班会議、そしてお勤めの作法があります。班評価だけでなく、お勤めの作法も僕が担当させてもらっていたんですが、今はその二つの話題は飛ばしておいて、次の分級に入りたいと思います。

昨日はどことなくギクシャクした静かな雰囲気だったので、今日は思い切って、始める前に子供達とワイワイ雑談をしてみました。11歳離れている妹がまだ赤ちゃんだった時の思い出や、実家で飼っているコロちゃんという犬の話などなど。子供たちの話も聞かせてもらいながら、少し長めに雑談の時間を取りました。そうしたら、場もなんだか和やかな雰囲気になってきたので、子供たちもリラックスできただろうし、何より僕自身が肩の力を抜くことができました。

また、アメリカから参加してきてくれた子に対しては、今日は電子辞書を持ってきたので、これを使って丁寧にやれば、なんとかなりそうでした。(ほんと、念のために持ってきておいて助かりました。)

さて、そして内容に入っていきます。さすがに始まると雑談の時のようなリラックスした雰囲気ではなくなりますが、それでも昨日よりは断然話しやすい雰囲気でスタートすることができました。

まずはご法話の内容の確認。みんなにそれぞれ、覚えていることや印象に残っていることを発言してもらいます。内容は黒板があるので、(さすがは元小学校です。)そこに簡単に板書していきます。

その内容を見させてもらいながら、まずはネズミの実験についての話をしてみました。実験で使われる動物は、すべて殺されます。また、実験をするためにわざと病気にさせたりもします。それじゃあ一体、一つの薬を作るのにどれだけのネズミを殺しているんでしょうか?

子供たちの答えは20~50匹でした。

だけど、僕が返した答えは2万匹。(ただ、これは以前に一度耳にしただけの情報なので、間違っているかもしれません。ただ、その数の多さに驚き、印象に残っていたので今でも覚えていました。)

さて、こんなにたくさんのネズミの命を奪って薬を作っているんだけど、それじゃあ命って平等なんだろうか?

子供一人ひとりに聞くと、みんな平等だと思うと答えました。

でも、本当に平等だと思っていますか?

だけどそれは、本当のこと。仏さまは、すべての命は平等だとおっしゃられています。人間の命も、ネズミの命も、蚊の命だってすべて平等だとおっしゃられています。

そして、そのことの譬え話として、「王さまとハトとタカの話」をしました。王さまはハトを助けるために、ハトと同じだけの自分の肉をお腹をすかせたタカに差し出すことにしました。そのときに、肉の量を仏さまの天秤で量るのですが、腕を切っても、足を切っても、まだハトの方が重いのです。そして、ついに王さまがまるごと計りの中にのると、ようやくハトの重さとつり合います。人間とハトの命の重さは仏さまの天秤で量ると等しいというところから、命の平等というところを教えてくれる話です。

命は平等だというけれど、本当にそう思っているのかどうか、少し考えてみよう。薬を飲むときに、犠牲になっていった命のことを考えているかい?食べものを食べるとき、殺されて肉になっていった命のことを考えるかい?蚊をバチンッと殺す時に、本当に命が平等だって考えているのかい?僕たちは自分の都合に合わせて、命の価値をコロコロ変えているんじゃないだろうか。

だけど、仏さまの命の見方は変わらない。それは、仏さまには本当のことが見えているから。

さて、そして次に聖典を使って「私の心」について考えてみることにしました。(仏の子供大会には『子供のせいてん』というのがあります。そこにはお勤めだけじゃなく、お釈迦さまや親鸞聖人の一生、またいろんな分かりやすい資料なども載っています。)

まずはその聖典の中にある「心の四つの窓」についてみていくことにしました。心の四つの窓とは、「私に」というのを横軸に、「他人に」というのを縦軸にした四つの窓の図で、私にも他人にもわかっている「よくいえている心」、他人だけがわかっている「気がつかない心」、私だけがわかっている「かくしている心」、そして、私にも他人にもわかっていない「しらない心」の四つの心のことです。これら四つの心を、具体例を挙げながら、子供達と一緒に見ていきました。そして、仏さまの願いがかかっている心。仏さまがとても心配なさっている心こそ、四番目の「しらない心」だということを話しました。仏さまの鏡で教えてもらう心とは、この「私も他人もしらない私の心」です。

そして、休憩をはさんでからもう一つ。今度は十悪(じゅうあく)について。仏さまのものさしである十の悪いこと。それを一つずつ、みんなで独り独りが具体例を挙げながら見ていきました。そして、十悪には

  • 身体でつくる罪
  • 口でつくる罪
  • 意(こころ)でつくる罪

の三つがありますが、その中でも重いのはこころでつくる罪。そしてその中で一番重い罪は、邪見(じゃけん)といって、仏さまのことを疑う罪だということを話しました。(「十悪」については、2011/05/26「仏教の罪悪観」の日記の中で詳しくふれているので、よかったら参照してみてください。)

milleface.hatenablog.com

このことを話し終わったところで、そろそろいい時間になったので、今日の分級は終わりました。今日の分級では、雑談を最初にたくさん入れておいたのがよかったのか、(途中の休憩でも、子供達とお菓子を食べながらワイワイ話をしました。)みんなそれぞれのところで素直な思いを話してくれていて、話を聞く時も、まじめに聞いてくれており、僕にとっては、とてもいい時間を過ごさせてもらえました。今回のことで、分級への不安もかなり和らいでくれたので、明日の法話(僕が担当)や分級にこのまま繋げていきたいと思いました。

 

さてさて、お次は昼食になります。この時に、ベテランの先生の提案で、ちょっとしたゲームをしました。子供たちの班は4つあるんですが、班にはそれぞれ「班の旗」があります。(班評価でもらえる旗とは違います。)今回は「春・夏・秋・冬」の旗にしていたんですが、

  • 春班 vs 秋班
  • 夏班 vs 冬班

でそれぞれの季節をアピールする対決をしてもらいました。中でも冬班のちびっこ達が大活躍で、冬のアピールをガンガン言っていきます。夏班が「夏は川で遊べます」と言ってもすぐに、「冬も川で遊べるし!!」とちょっと無茶な応酬をします(笑)でも、その勢いに押されて、思わず夏班も黙ってしまう始末。そんなはちゃめちゃな討論が、見ててとても面白かったです。

 

昼食の後は海水浴に行きました。海ぼうずからは、5分も歩けば海水浴場に到着します。台風の影響で、前日に雨が降っていたので心配していましたが、多少波が高い程度で、十分に泳ぐことが出来そうでした。

なので、体操をすませてから、早速みんな、海の方へ走っていきます。最初は海水が冷たくって躊躇していた中学生たちも、バシャッと海水をかけてやると、ギャーギャー言いながら泳ぎ始めました (笑)。一度全身を海水につけると、最初冷たいと感じていても案外平気になるもので、持ってきていた浮輪やビーチボール、ゴムボートも使いながら、ワイワイと海水浴を楽しみました。

ここの海の水はとてもきれいで、魚もたくさん泳いでいました。水中メガネで魚を発見していく子供たちをうらやましいなぁと思いながらも、海水がきれいなお陰で、僕もなんとか海水の上からきれいな魚たちを見ることができました。(来年も会場がここなら、水中メガネを忘れずに持っていこうと思います!)

また、海で泳ぐのが初めての子もいて、「すごいなぁ、すごいなぁ。明日も泳ぎたいなぁ。」と帰り道、何度もぼやいている子もいました。

海水浴の後は、大きなスイカを食べました。朝、お腹が痛いと言っていた子が、調子にのって5個も6個も食べていましたが、案の定、後でまたお腹が痛いと言っていましたた(笑)。

 

イカを食べたら、お風呂に入って夕食。今日の夕食はバーベキューでした。肉や野菜もあるのですが、やはり海沿いの町。地元でとれた海産物がでてきます。サザエに、地元で養殖しているホタテのような貝。子供たちはあまり食べないけれど、大人にとっては、とても贅沢なバーベキューでした。

 

夕食の後にはスライドを見ます。まずは、「マンゴーの木」というスライド。これは、命がけで子供たちを助けようとする母猿の姿に、強欲な王様が改心するといったような話でした。

そして、次のスライドが始まる前に、各班の「モットー」と「うた」を発表してもらいました。どの班も少ない時間の中でがんばって考えてくれていました。なかなか覚えきれずに途中で止まってしまう班や、恥ずかしがってもじもじしている班もありましたし、班長を中心にダンス付きのうたを発表してくれる班もありました。

 

さて、そして後半のスライドが始まります。後半は、仏の子供大会では毎年恒例になっている「地獄のスライド」を見ます。

火の車 つくる大工はなけれども

  おのがつくりて おのが乗りゆく

火の車とは、地獄へと行くための燃え盛る車のことですが、その車は、誰かが用意するものではなく、自分自身でつくってきた罪が車となったものです。つまり、地獄へ落ちていくのは、すべてこの私に責任があるということです。

そして今年は、「等活地獄(とうかつじごく)」のスライドを見ました。等活地獄は、八大地獄の中でも一番軽い地獄で、殺生(せっしょう:殺し)の罪を犯したものが落ちる地獄です。

鉄の爪をつけて、罪人同士で骨になるまで切り裂きあう場所。熱く苦い泥の中に放り込まれる場所。鉄のくちばしのある虫に食べられる場所。ドロドロに溶けた鉄の雨が降る場所。巨大な地獄の鳥に焼き殺され、食い殺される場所。殺生を犯した対象によって、様々な場所があります。

また、地獄の中では、体が粉々に砕けたとしても、地獄の鬼が「かつっ!かつっ!」と恐ろしい声でどなると、たちどころに元の体に戻ってしまいます。そして、自分の罪業が尽きるまで、苦しみ続けるといわれています。

怖がっている子、気持ち悪がっている子、真剣に見ている子、眠たそうに見ている子。独り独り、いろんな見方をしてくれていたとは思いますが、いづれにせよ、その地獄をつくっているのは、ほかならぬ私自身であるということを、仏教では説かれています。

 

スライドの後は、軽く班会議をして、(明日のキャンプファイヤーでのスタンツ決めなど。)子供たちは就寝します。

 

そして、大人たちは反省会へ。二日目になると、大人たちにもだいぶ疲れの色が出てきていました。なるべく手際よく今日の反省と明日の役割分担をして、各班のアピールタイムに移ります。それを聞いて、班の評価を考えつつ、明日は法話もあるので、内容を軽くおさらいしてから、今日は眠ることにしました。

 

つづく

 華光 仏の子供大会 初日

2011, 8, 28

ひさびさの日記になりました。今回からは、8月の5~8日にあった浄土真宗 華光会の「仏の子供大会」について、僕が感じたところや覚えているところを書いてみたいと思います。

「華光 仏の子供大会」については、僕にとってとても濃い出来事だったので、書きたいなぁと思いつつ、うまくまとまらなくって放置するというのを何回か繰り返していました。ただまぁ、あまりまとめようと肩肘張ってもしょうがないかと思い、思うままに、とにかく書いてみようと思います。

 

さてさて、そして今回はその初日についてです。

今年の子供大会は、三重県伊勢市にある「海ぼうず」という宿泊施設で行われました。「海ぼうず」は、廃校になった小学校の建物を再利用した施設で、地域の方々が協力し合って運営している施設でした。建物の中には、いろんなところに小学校の面影が残っており、どこか懐かしさのようなものを感じさせる、温かい施設でした。

今回は、27人の子供たちが参加してくれました。ちなみに、対象としているのは小学3年~中学3年までです。そして、その子供たちは4つの班に分かれます。子供大会では、班に分かれて様々な活動を行っていくのですが、がんばっている班には「旗」がもらえます。そして、最後に旗の数が一番多い班には、優勝ということで、トロフィーと班員全員にメダルがもらえます。

そして、僕は今年、「班評価」を担当させてもらいました。班評価とは、旗をどの班に渡すのかを決める役です。僕は班評価をするのは初めてだったので、具体的にどう進めていくのか最初はほとんど分かっていませんでしたが、子供たちの姿をしっかりとみさせてもらおうと思い、少し楽しみにしていました。

 

さて、そしていよいよ仏の子供大会が始まりました。

まだ始まったばかりで、そわそわとしている子供たち。簡単なオリエンテーションの後、お勤め(らいはいのうた)をして、ご法話に入ります。

ここからは、ご法話の内容を僕の聞かせてもらったところで書いてみようと思います。

 

さてみなさん。今年も仏の子供大会がいよいよ始まりました。今年のテーマはなんでしたか?(「仏の子供大会」は、毎年テーマがあります。そして、ご法話もある程度そのテーマにそって考えられています。)

今年のテーマは、「心の勉強」です。では、「心の勉強」っていったいどんな勉強なんでしょうか。勉強というと、国語や算数、体育や音楽などいろんなものがあります。だけど、「心の勉強」というのは、ちょっと違います。国語や算数は学校で教えてもらえますが、実は「心の勉強」は学校の勉強とは違うんです。

それじゃあ、「心」っていったいなんなんでしょうか?どこにあるんでしょうか?心臓?頭?どんな形なんでしょうか?どんな色なんでしょうか?

それでは、自分の心を言葉にしてみましょう。この「心カード」に、今の自分の気持ちを書いてみましょう。例えば、うれしいなぁとか、楽しみだなぁとか、緊張しているなぁとか、腹が立つなぁとか、今の自分の気持ちを書いてみましょう。(「心カード」を配る)

さぁ、そして書き終わったら、隣の人と当てあいっこしてみましょう。

どうですか。隣の人の気持ちが、心が当たった人はいますか?

ほとんどいませんね。他人の気持ちを当てることは、とても難しいことですね。

それじゃあ、自分の気持ちはどうですか?自分の心はどうですか?自分の心がどんな心か、分かりますか?

そして、仏の子供大会では、この心を仏さまに教えてもらいます。自分で自分の心を見るのではなくって、仏さまを鏡にして、自分の心を見ていきます。そのことを、分級(ぶんきゅう:学年ごとのグループに分かれた話しあい)やこれからのご法話の中で、しっかりと勉強していきましょう。

(おわり)

 

さて、そして次に分級に入ります。僕は小学校5年生と6年生の計7人のグループを担当させてもらいました。

まずは自己紹介。それぞれどんなことが聞いてみたいかと子供たちに尋ねると、「出身地」や「趣味」というのが出てきたので、それと合わせてさっきのご法話の時に書いた「心カード」の自分の今の気持ちを発表してもらいました。

出身地は京都や岐阜、そしてアメリカからきてくれた子もいました。その子は、ある程度は日本語をしゃべれるのですが、分からないところもちょくちょくあるようでした。また、ご法話の内容理解なども、なかなか難しそうで、僕としては、さてどうするかなぁと内心不安になっていました。

また、まだ子供大会が始まったばかりで緊張しているということもあってか、分級自体の雰囲気がとても静かで、なんとなくギクシャクした空気が漂っていました。

さらに、僕は子供大会で一人で分級を持たせてもらうのは今回が初めてだったということもあり、余計に不安になっていきました。ただ、今思うと、そういう僕の不安が言葉にしていなくても子供たちに伝わってしまっていたのかなぁと思います。

そして、そうこうしているうちに一回目の分級は終了しました。

 

分級の後は、入浴をしてから夕食。晩御飯は地元の名物「手こね寿司」の体験をさせていただいました。(出汁につけたカツオや大葉、ガリ胡麻などを混ぜ合わせたお寿司)材料を切って、手で混ぜるという簡単な作業ですが、班ごとに別れてやっていたので、一生懸命みんなをまとめようとしている班や、班長よりも副班長が手際よくやっている班などなど、班によって子供たちの動きもいろいろありました。

 

夕食の後は、「楽しみの夕べ」。これは、班対向のゲームの時間です。人間知恵の輪や、紙テープで班員をぎゅうぎゅうにして止めて、テープを切らないようにゴールまで進んでいくゲームや、班員一人一パーツずつ描く似顔絵作りなどをしました。(こんな説明じゃ、ぜんぜんどんなゲームか分からないかもしれませんね^^;笑)そして、大人たちもチームを作り、ワイワイギャーギャーと大いに盛り上がりました。

 

楽しみの夕べが終わると、子供たちは班会議の時間をとってから、就寝。(班会議では、班ごとに「うた」と「モットー」を話し合ったり、連絡事項、簡単な健康チェックなどをします。)

 

そして、スタッフの先生は反省会。その反省会で、今日一日の反省や、明日の役割分担や仕事の確認、また、班付きの先生(各班に一人ずつ付いている先生)たちの話しを聞きながら、旗をあげる班を考えていきます。

どこの班に旗をあげるか。また、各班をどのように評価してあげるか。これは、実際にやってみると、僕にとってはとても複雑で難しいことでした。(実は始まる前までは、なんとかなるだろうとたかをくくっていました)結局、反省会が終わった後、一人残ってやっていたら、経験豊富な先生が一人、付きあって下さり、お陰でなんとかそれなりにまとめることができました。

また、僕にとっては明日の分級がかなり不安になっていました。ただ、反省会で他の分級の話を聞かせてもらう中で、子供たちをリラックスさせるための時間をしっかりととることや、そのための工夫をいくつか教えていただきました。まだどうなるかは分からないけれど、とにかくやってみようと思いながら、明日に備えて、今日のところは眠ることにしました。

 

つづく

法然聖人のご生涯2 -法の弘通-

2011, 8, 1

今回は「法然聖人のご生涯2」ということで、前回の日記の続きを書いていこうと思います。

 

それでは早速、始めます。

法然聖人は43歳の時(1175年)、善導大師のお言葉により、念仏の教えに目覚め、ついにご自身が求め続けておられた道に出遇われたのでした。そして比叡山を下りられ、吉水(よしみず:京都市東山区)というところに移られ、みずからの宗教的立場とする教えを「浄土宗」と名づけて、念仏の教えを広めていかれました。

その教えは、ただひとすじに阿弥陀さまをたよりとして念仏すれば、阿弥陀さまのお力(他力)によって、必ず浄土へ往生できるというものでした。

(ここでいう「念仏」とは、「南無阿弥陀仏」と口に称えることです。また、「南無阿弥陀仏」については、2011/07/01「阿弥陀という仏さま3」の日記でふれていますので、よかったら参照してみてください。)

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(また、「他力」については、2011/07/19「自力と他力」の日記で詳しくふれていますので、よかったら参照してみてください。)

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しかも、貪欲(とんよく:欲の心)、瞋恚(しんに:怒りの心)、愚痴(ぐち:愚かな心)などの煩悩(ぼんのう:身心を煩わせ、悩ませる精神作用の総称)を断ち切れなくとも、煩悩があるままに、お念仏を申したらよい。

また、お念仏を称えている時に心が乱れたとしても、乱れた心のままに、お念仏を申したらよいというものでした。(「貪欲」、「瞋恚」、「愚痴(邪見)」については、2011/05/26「仏教の罪悪観」の日記で詳しくふれていますので、よかったら参照してみてください。)

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そして、身分の高い者も低い者も、男も女も、みな平等に別け隔てなく浄土へ往生できると説かれました。

その理由は、前回の日記の中でも紹介した、「かの仏の願に順ずるがゆゑなり。」という善導大師(ぜんどうだいし)のお示しをよりどころとされ、口で称える念仏こそが、阿弥陀さまの本願にしたがっている行(ぎょう:おこない)であるということを、教えの根本に据えられています。

そして、このような法然聖人の教えは、僧侶や貴族、武士の間だけではなく、身分を越えて、農民などの地位の低かった人々の間にも、どんどん広まっていきました。

 

また、法然聖人54歳の時(1186年)、京都の大原(おおはら)の地で、
「大原談義(おおはらだんぎ)」と呼ばれる仏教教義(きょうぎ:教え)の問答が行われました。

この問答は、天台宗三論宗法相宗などのいろいろな仏教の宗派から当時の高僧方が集まられ開かれたのですが、その中で法然聖人は、集まられた諸師方をことごとく論破され、念仏の教えこそが、今の時代と人の素質に応じた時機相応(じきそうおう)の教えであることを証明されました。(ちなみに、「大原」は中国から天台聲明(てんだいしょうみょう)が伝わってきた場所でもあります。僕が習った「聲明」もこの天台聲明の流れをくんだものです。「聲明」については、2011/05/07「聲明と合唱」の日記の中でふれていますので、よかったら参照してみてください。)

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また、『平家物語』「敦盛最後」の段に出てくる勇猛な武士、熊谷直実(くまがいなおざね)や、比叡山で20年の修行の末に、自らが仏となる道を見出すことのできなかった親鸞聖人(しんらんしょうにん)も、法然聖人の元を訪ねられ、念仏の教えに帰依してゆかれました。

 

そして、当時の関白(かんぱく:天皇の代わりに政治を行う職)であり、法然聖人の念仏の教えに深く帰依されていた九条兼実(くじょうかねざね)という方の願いに応じて、聖人は『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』という書物を作られました。この書物は、その書名にあるように、本願にかなう行である念仏一つを選択するというものです。

しかし、前回の日記の最後でも少しふれたように、法然聖人の帰依された教え(浄土門)は、念仏以外の様々な教えや修行をすべて捨て去るものでもありました。それゆえ、この書物は他の宗派(聖道門)から猛反発を受けることを、聖人自身、深く見ぬいておられました。

(「浄土門」「聖道門」については、2011/06/15「どうして仏教にはいろんな宗派があるのか?」の日記の中で説明していますので、よかったら参照してみてください。)

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そこで、この書物の終わりに、

(書き下し文)
庶幾はくは一たび高覧を経て後に、壁の底に埋みて、窓の前に遺すことなかれ。おそらくは破法の人をして、悪道に堕せしめざらんがためなり。

(訳)

この書物は、どうか一度ご覧になった後には、壁の底に埋めて、決して窓の前に出しておくようなことはしないでください。おそらく正しい理解のない人に読まれることがあれば、 仏法を破壊して、悪道に堕するようなことになるでしょう。それをふせぐために、このようなことを申しあげました。

と書かれ、他人に見せることを禁じた非公開の書であることを述べられています。

しかし、法然聖人の念仏の教えが広まると共に、聖道門の宗派との間に摩擦が起こるようになり、それは次第に激しくなってゆきました。

 

また、住蓮(じゅうれん)と安楽(あんらく)というとても声のきれいなお弟子がおられました。そのお二人が唱える美しいお経に感化され、二人の女性が結縁(けちえん:仏道に入る縁を結ぶこと)し、出家するという出来事が起こりました。

(ちなみに、このとき住蓮・安楽が唱えていたのが、善導大師の『往生礼讃』だったと伝えられています。『往生礼讃』については、2011/06/08「善導大師、日没の無常偈」の日記の中でふれているので、よかったら参照してみてください。)

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しかし、実はこの二人の女性は松虫・鈴虫といって、 後鳥羽上皇に寵愛されていた女官であったため、上皇からの怒りをかうことになり、聖道門からの激化する摩擦とも重なって、承元の法難(じょうげんのほうなん)をまねいてしまいます。この法難により、住蓮・安楽を含む法然聖人のお弟子4人が死罪となり、法然聖人ご自身も土佐へ流罪(るざい)となります。時に聖人、75歳(1207年)のことでした。

 

しかし、流罪の命令が法然聖人のもとに伝えられた時、居合わせたお弟子方に次のように話されたと、『法然上人行状絵図』には述べられています。

(取意)

私は流罪になったことを決して恨んではいません。それどころか、念仏をひろめることは京都では長年のことでしたが、地方に出向いて、田舎の人々に念仏を勧めることは、前々から希望していたことです。しかしその機会がなかったのでできませんでした。今その縁ができて、これまでの願いをはたすことができるのです。これは大変な朝廷のご恩というべきです。念仏の教えがひろまることは、人が止めようとしてもそれは決して止まるはずはありません。

聖人はこのように話して、土佐に向かわれました。その道中、魚貝の命を断つことを罪と感じ、法然聖人の元へ救いを求めてきた漁師たちや、同じように自身の行いに罪を感じ、救いを求めてきた遊女たちにも、念仏の教えを勧められたと伝えられています。

 

そして4年後、聖人79歳の時(1211年)に流罪の刑が解かれ、京都へと戻られます。

しかし翌年(1212年)の1月2日より、法然聖人は死の床につかれました。聖人ご自身もお弟子方も往生の近いことを感じておられました。

そして、聖人の老衰も次第に深まってきた1月23日、長らく聖人に仕えてきた源智(げんち)というお弟子が、聖人に念仏の教えの肝要についての一筆を、請い求められました。その願いに応じて、聖人は念仏の肝要を一紙に記されました。これは「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」と呼ばれ、法然聖人の絶筆(ぜっぴつ)となりました。そこには、このように書かれています。

(原文)

もろこし(中国)・わが朝(日本)に、もろもろの智者達の沙汰(さた)しまうさるる観念の念にもあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽(浄土)のためには南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思ひとりて申すほかには別の子細(しさい)候はず。

ただし三心・四修と申すことの候ふは、みな決定(けつじょう)して南無阿 弥陀仏にて往生するぞと思ふうちに籠り候ふなり。このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊(にそん:お釈迦さまと阿弥陀さま)のあはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍 (ぐどん)の身になして、尼(あま)入道(にゅうどう)の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。

為証以両手印(証のために両手印をもってす)

浄土宗の安心・起行、この一紙に至極せり。源空法然聖人)が所存、この ほかにまつたく別義を存ぜず。滅後の邪義をふせがんために、所存を記しをはりぬ。

 

(訳)

私が説いてきたお念仏の教えは、中国や日本の様々な智者達の論議の中でいわれているような、心ろ静かにして仏さまの相(すがた)を観ようとしたり、仏さまの功徳などを思い念じることではありません。また、学問をしてお経の文字について学び念仏の功徳や意味を詳しく知ってからでないと称えられないような念仏でもありません。私が説いてきた念仏の教えは、浄土に往生するためには、 ただ「南無阿弥陀仏」と念仏を称えて、疑いなく往生するぞと思い定めることです。このほかに、別のことがあるわけではありません。

また、本願の中で説かれている真の心(三心)や、浄土往生を願うための修 行(四修)などは、南無阿弥陀仏で往生するぞという思い定める中に、すべて満たされています。このことのほかに、私が何か奥深いことを知っているとお考えであるのならば、お釈迦さまと阿弥陀さまの大悲のお心からはずれ、本願のお救いからも、もれてしまうことになるでしょう。

念仏を信じる人は、たとえお釈迦さまが一生の間に説かれた教えをよくよく 学んだとしても、本当は文字の一つも知らない、無学、無知のような我が身であると深く内省し、在俗生活のまま仏法をお聞かせにあずかっている方々と立場を同じくして、智者のようなふるまいをせずに、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるべきです。

これは大事な証文ですので、私の両手の印を押しておきます。

私がこれまで勧めてきた浄土宗の教えの「心の置きどころ」と「実践」は、 この一紙に極め尽くされています。私が存じているところは、ここに書いたことのほかに、別のことは全くありません。私がいなくなった後に間違った見解が出てくるのをふせぐために、ここに心中に思うところを記しおわりました。

そして、これを書かれた二日後の1月25日。お念仏の声が次第に途絶えるようになり、その日の正午、法然聖人は往生されました。

 

その往生に際して、空は光り輝き、その光が紫の雲となって辺りにたなびいて、えも言えぬ美しい音楽が響き奏でられ、たとえようもない浄らかな香りが満ちあふれるなどのさまざまな不思議な現象が起こり、阿弥陀さまの来迎(らいこう:阿弥陀さまがお弟子方を引き連れて、その人を迎えに来ること)を受けられたと伝えられています。

 

詳しく申していけば、まだまだ色々なことがあるとは思いますが、以上で法然聖人のご生涯についてはお終いです。

そして、法然聖人がご苦労下さって説かれた念仏の教えは、浄土門の仏教として受け継がれ、今に伝えられてきています。僕に届いてきた浄土真宗の教えも、法然聖人が説かれていた教えを根幹としているものです。

そのことを思いながら、こうして法然聖人のご生涯の一端にふれさせていただくと、僕が今、当たり前のように聞かせていただいている浄土真宗の教えの「背景」というものを観させていただいているように感じています。今僕が聞かせていただいている念仏の教えは、法然という方が、全身全霊、まさに命をかけて求められ、伝え広めてくださった教えです。もちろん、法然聖人以外にも、数え切れないほどの人たちのご苦労を通して今に伝わってきている教えです。

 

だけど、そんな先人のご苦労など知りもしないで、たとえ知っていようとも、いつもはさっぱり忘れ通しで、何もかも当たり前のように感じながら過ごしている「僕」がいます。

しかし、そうではない。本当は当たり前ではない。「僕」の感覚がマヒしているだけで、今の僕の背景には、数え切れないほどの膨大なご苦労が事実としてある。もちろんその中には、家族や友達のご苦労もたくさんあります。

自分自身の感覚ばかりを頼りとするのではなく、そこのところに、少しでも目を向けさせていただくことは、難しいことですが、とても大切なことだと思います。

 

だけど、それ以上に大事なことは、「それらのご苦労は、何のためにあるのか」というところを聞かせていただくことだと、僕は思います。

そこのところを、今回は法然聖人のご生涯を通して、僕自身が聞かせていただきました。

 

さて、二回にわたり長い日記になりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

南無阿弥陀仏

 

☆☆参考文献☆☆

  • 黒田覚忍、『はじめて学ぶ七高僧 -親鸞聖人と七高僧の教え-』、本願寺出版社、2004年3月16日。
  • 佐山哲郎 脚本、川本コオ 漫画、『マンガ 法然上人伝』、浄土宗、1995年3月1日。
  • 増井悟朗、『『三帖和讃』講讃 上』、白馬社、2010年3月10日。