華光 仏の子供大会 最終日
2011, 9, 3
さて、華光 仏の子供大会についての日記も、これが最終回となります。
最終日の朝。さすがに子供たちにも疲れの色がにじみ出ています。その疲れは、子供達のラジオ体操によく表れていました。
そして、体操の後は朝のお勤めをします。最終日は「重誓偈(じゅうせいげ)」のお勤めをしました。(「重誓偈」は、2011/07/01「阿弥陀という仏さま3」の日記の中で、チラッと出てきています。)
お勤めの後は、ご法話になります。今回も、僕が聞かせてもらったところで、ご法話の内容を書かせてもらおうと思います。
これからお話しするのは、「因果の道理(いんがのどうり)」というお話です。これは、簡単に言うと、「原因と結果のルール」ということです。
例えば、ひまわりの種を植えて水をやると、ひまわりの花が咲きます。朝顔の種を植えて水をやると、朝顔の花が咲きます。当たり前のことですが、朝顔の種からひまわりの花が咲くことはありません。ひまわりの種から朝顔の花が咲くこともありません。つまり、善いことをした種からは、善い花が、悪いことをしたら種からは、悪い花が咲きますよということです。
さて、では今から紙を配るので、そこに子供大会の間にした、「善いこと」を書いてみましょう。例えば、班のみんなと仲良くしたとか、スリッパをちゃんと揃えたとか、自分が善いことだと思うことを書いてみましょう。
(紙を配る)
では次に、その紙の裏に、今度は自分のした「悪いこと」を書いてみましょう。
できましたか?それでは、今度はその「善いこと」と「悪いこと」を5点満点で評価してみましょう。とっても善いことだと思ったら、高い点数を。逆に、あんまりたいしたことないなぁと思ったら、低い点数をつけます。
点数をつけれた子は、今度はその点数の合計を出してみましょう。善いことの合計と、悪いことの合計を、それぞれに計算してみましょう。
さて、今年の子供大会のテーマは「心の勉強」でしたね。では、今からその「心」を作ってみたいと思います。本当はみんな一人ひとり作ってもらいたいのですが、今日は時間がありませんので、この中の誰か一人に作ってもらおうと思います。さぁ、誰かやってくれる人はいますか?
(一人の男の子が手をあげてくれる。)
ありがとう。それじゃあ、今から君の心を、この白い粘土と黒い粘土を使って作ってみようと思います。
ではまず、この白い粘土を、君の善い心の点数の分だけとってみてください。
それじゃあ、次にこの黒い粘土を、君の悪い心の点数の分だけとってみてください。
そして、この二つの粘土を混ぜ合わせます。自分の心って、どんな色をしているんでしょうか。混ぜ合わせたら、自分の心の形も作ってみてください。
はい、ありがとう。それじゃあ、自分の座っていたところに戻ってください。
さて、これが○○くんの心です。ではみんなに質問します。この心は何色ですか?
灰色ですね。黒い心、悪い心が混ざってしまっています。それじゃあ、この黒い心を消すために、たくさん善いことをして、白い粘土をどんどん足していったらどうなりますか?
やっぱり、灰色の心ですね。いくら白い粘土を足してみたところで、自分の心は真っ白にはなりません。そして、黒い心は消えない。たとえ忘れていようとも、一度した悪いことは、決して消えずに自分の心の中に残っているんです。
そして、因果の道理、原因と結果のルールに従って、やったことには、必ず責任をとっていかなければなりません。子供大会もいよいよ最終日となりましたが、分級の時間に、しっかりと「自分の心」について考えてみてください。
(おわり)
ご法話の後は、朝食をとって、班評価があります。昨日の子供達の活躍を振り返りながら、それぞれの班に旗を渡していきます。そして、お昼の反省会の時にもう一度、最後の班評価があります。そこで、今年の子供大会の優勝の班が決まります。
班評価の後は、お勤めの作法をして、いよいよ、最後の分級に入ります。
今回の分級では、各分級での集合写真を最初に撮ることになっていたので、写真係の先生が来るまで、中身には入らずにのんびりしておくことにしました。
その中で、何人かが黒板にお絵かきをしていたので、せっかくなのでみんなで「お絵かき対決」をしてみることにしました。お題は何にしようか迷ったのですが、ちょっと難しいのがいいの思ったので「クッパ」にしました。(ちなみに、クッパはアメリカでは「バウザー(Bowser)」というそうです。なんだか言葉の響き的に、クッパよりも強そうですね(笑))
そして、絵を書いている途中で写真係の先生が来て下さったので、分級の集合写真をとりました。ポーズもみんなでワイワイ考えて、楽しかったです。
写真の後は、お絵かき対決の投票へ。一人2回ずつ手を挙げてもらって、多数決で決めました。優勝したのは、小さな可愛いクッパ。書いた子は、嬉しそうにニシシと笑っていました。いやぁ、ほんと子供達はかわいいもんです。(ちなみに、僕のクッパにも3票入りました(笑))
さぁ、そして分級の中身に入っていきます。
いよいよこれが最後の分級です。そのことを改めてみんなに伝えた上で、ご法話の内容確認に入ります。いつものように、一人ずつ覚えているところを発表してもらい、それを黒板に板書していきます。
その後、分級の時間に書いた「善いこと」と「悪いこと」を発表してもらいました。(だけど、無理に言う必要はないので、言いたくない事は、言わなくても大丈夫。ただ、その言わなかったことも自分のやったこととして、自分自身で受け取ってあげてねと前置きをいれておきました。)
一人ひとりの発表が終わったら、昨日までの流れ(「心」「罪悪」「地獄」「無常」など)をおさらいしました。
そして、今までの内容も含めて、「仏法を聞く」ということについて、僕が聞かせていただいているところを、子供たちに話していきました。(ここからのやり取りは(今までもそうですが)、今僕自身が浄土真宗のみ教えというところでお聞かせにあずかっているところですので、何か訂正すべきところやご意見等ございましたら、またコメントやメッセージをいただければ幸いです。)
仏法は、「私独り」のところで聞かなければなりません。それは、たった独りでこの世から出ていかなければならないからです。他の人が聞いたかどうかは関係ありません。「この私」が聞いたかどうかということが大事です。
そして、仏さまの話はとても大切なお話です。それは、いのちに関わる話だからです。
昨日も聞きましたが、自分が死んだらどうなるのか、もう一度、よく考えてみましょう。
そして、これは最後の分級の時間です。僕はこれから、仏さまがみんなに、独り独りににどのようにおっしゃられているのか、どのように願ってくださってるのかというお話をしたいと思います。
だけど、さっきも話したように、仏さまの話は、いのちに関わる大事なお話です。そして、仏さまの話を本当に聞いて、仏の子供になるためには、仏さまの話を、いのちをかけて聞く必要があります。それができますか?
仏教は独りで聞いていかなければなりません。これはみんなの問題ではなく、独り独りの問題です。独り独りのところで、よく考えてみましょう。
さて、阿弥陀という仏さまは、自分の力では決して仏に成ることが出来ない人、悪いことばかりして、次から次に地獄へ落ちていく人たちを見て、それを悲しまれ、その人たちをなんとか救いたいと思われました。
どんな人でも必ず救うことができる方法をものすごく長い間、考えに考えて、ついに考え抜かれました。
そして、厳しい厳しいご修行をされました。しかし、阿弥陀さまはどんなに苦しい修行でも、一度も後悔されることはありませんでした。阿弥陀さまは、
「これで必ず、間違いなく、あなたを救うことができる」
とすでに確信しておられ、自ら進んで苦難の毒に沈んで行かれました。
そして、ついに完成されたのが、この「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀さまは、自身のすべての修行の成果を、この「南無阿弥陀仏」の六字に込められました。そして、私たち独り独りに、
「どうか、どうか私を信じ、私をたのみ、南無阿弥陀仏と称えておくれ」
と頭を下げてたのんでおられます。
本当はね、こっちから、
「助けてください!」
とたのまないといけないのに、阿弥陀さまの方から、
「どうか称えておくれ。どうか助けさせておくれ。」
とたのんでくださっているんだよ。
さぁ、それじゃあみんなは、阿弥陀さまを信じて、お念仏を称えることが出来ますか?
この時、一人の女の子がうつむいて泣いていました。
隣の男の子に聞いてみます。
「○○くん、どうだい?」
彼は正直に、
「まだよくわからない」
と答えてくれました。そして、その気持ちをそのまま返させてもらいながら、そうやって自分の気持ちを偽らない事が仏さまの話を聞く上ではとても大切だよと伝えました。そしてもう一つ。そんな○○くんに向かって、阿弥陀さまは頭を下げているんだよということを伝えました。
そして、うつむいて泣いている子に話しかけました。
「言葉にできるところでいいから、○○ちゃんの今の気持ちを話してごらん。」
彼女から言葉は返ってきませんでしたが、この子に中に何かが響いているんだと思い、阿弥陀さまの話、南無阿弥陀仏の話を、ゆっくり話していきました。すると、小さな声で、
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」
と手を合わせて称え始めました。僕はその姿をみて、
「阿弥陀さまはね、お念仏称えてくれてありがとうって言ってるよ。○○ちゃんの口から出てきたお念仏が、○○ちゃんの耳に聞こえるかい?それはね、仏さまの声だよ。○○ちゃんにずーっと引っ付いてきてくれた仏さまの声だよ。○○ちゃんを必ず救ってみせるっていう仏さまの声だよ。」
ということを伝えました。
そして、隣の子に話しかけます。
「○○ちゃんはどうかな?」
その子は最初の男の子と同じように、
「まだよくわからない」
と答えてくれました。その子は、涙を流していました。僕は、同じようにその気持ちをそのまま返し、そんな○○ちゃんに、阿弥陀さまは頭を下げてくれているよということを伝えました。
そして、隣の子に話しかけます。その子は泣いていました。そして、
「今度から一生懸命がんばる」
と答えてくれました。僕は、彼女の中にも何か響いているんだなぁと思い、
「それじゃあ、いつがんばるんだい?」
と聞いてみました。すると彼女は、お念珠を取り出して、手を合わせて、
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」
と称え始めました。僕はその姿を見て、
「がんばらなくてもいいんだよ。○○ちゃんががんばらないといけなかったことは、全部、阿弥陀さまがやってくれてたんだよ。阿弥陀さまは○○ちゃんに、ただお念仏を称えておくれって言っているんだよ。そこに、○○ちゃんを救うための力が全部込められているよっておっしゃっているんだよ。」
ということを伝えました。
そして、隣の子に話しかけます。すると、彼女は僕に聞きたいことがあると言って、阿弥陀さまのことについて質問してきてくれました。そして、その質問にゆっくり応えていると、彼女は涙を流しながら、
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」
と称えてくれました。
そして、隣の子に話しかけます。彼女は、
「よくわからない」
と答えてくれました。その気持ちをそのまま返さしてもらってから、そんな○○ちゃんに、阿弥陀さまはこうやって頭を下げているんだよと、彼女に向かって頭を下げながら、そのことを伝えました。
そして、隣の子に話しかけます。その子は、
「よくわからない」
と答えてくれました。だけど、何かもっと言いたそうな雰囲気を感じたので、
「どんなことが分からないんだい?」
と聞いてみました。そして、彼女は涙を流しながら話してくれました。その彼女の言葉にゆっくり応えているときに、彼女は、
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」
と手を合わせて称え始めました。僕は、
「地獄に落ちることも、阿弥陀さまのことも、信じれなくてもいいんだよ。阿弥陀さまはね、そんな○○ちゃんの心の中も、ちゃんと知っておられたんだよ。阿弥陀さまね、そんな○○ちゃんのために、南無阿弥陀仏の中に、信じる心までつくって下さったんだよ。南無阿弥陀仏が、○○ちゃんの信じる心になってくれるんだよ。だからね、今の気持ちのままでいいんだよ。そのまんまの○○ちゃんのまま、お念仏称えてごらん。」
ということを伝えました。
そうして一周回ったところで様子をみてみると、最初に話しかけた男の子がそわそわしていました。僕はその子に話しかけてみました。
「いいんだよ。今からでもいいんだよ。いつでもいいんだよ。お念仏称えてごらん。」
そのことを伝えると、彼は出しかけていたお念珠を手にかけて、手を合わせて小さな声で、
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」
とお念仏を称え始めました。
そうして一人ひとりに話している間にも、何人かの子供達の念仏がポツリポツリと聞こえてきていました。
そして、僕が聞かせていただいているところを、改めて話していきました。
阿弥陀さまは、私の罪の身代わりになって下さっている。しかも、決して後悔せずに、よろこんで。私一人を救うために、よろこんで地獄の業火の中に飛び込んでくださっている。
そんな阿弥陀さまは、この私にそのまま来いとおっしゃっている。仏を信じる心までも、南無阿弥陀仏の中にこめてくださっている。自分のすべての修行の成果を、南無阿弥陀仏の中に込めてくださっている。
自分の口から出た南無阿弥陀仏が聞こえるかい?それは仏さまの声だよ。
お念仏を称えると、阿弥陀さまはみんなに、
「ありがとう」
と言ってくださる。
「お前を絶対に地獄へ落としはしない。それどころか、私と同じ仏に必ずしてみせるぞ。」
とおっしゃってる。
人間に感謝を伝えるときの言葉は「ありがとう」。だけど、阿弥陀さまに対する御礼は「南無阿弥陀仏」。
昔、蓮如上人(れんにょしょうにん)という方がおられたんだけど、その方のお弟子さんがある日、「南無阿弥陀仏」と書かれた紙が燃えた時に、それが仏さまになったのを見られて、その不思議なできごとを蓮如上人に御報告したところ、蓮如上人は、
「そんなことは、全然不思議じゃないよ」
と答えられたんだそうです。そして、こうおっしゃられました。
「南無阿弥陀仏は仏さま。仏さまが仏さまになったんだから、それは全然不思議なことではないよ。そんなことよりも不思議なことは、この黒い心の私から、真っ白な仏さまの南無阿弥陀仏が出てくることだよ。こんな愚かな私が、仏さまに成らせてもらうということこそが、不思議なことなんだよ。」
蓮如上人はお弟子の方に、このようにおっしゃられました。
さて、最初にも話したけれど、仏さまの話は自分独りのところで聞いていかなければならないよ。だって、もしも死ぬ前に僕が、
「ごめん!今までの話、全部ウソやった!」
なんて言ったらどうする?そうじゃなくって、自分と自分の仏さまのところで聞いていかなければならない。自分のこの口から南無阿弥陀仏と出てきてくださる仏さまに聞いていかなければならないんだよ。
そして、最後に何か聞いておきたいことはないか子供たちに尋ね、特にないようだったので、この四日間、この分級の時間を共に作ってきてくれたことに対する御礼を言って、最後の分級を終わりました。
分級の後は、昼食をとって閉会式となります。「らいはいのうた」のお勤めをした後に、最後のご法話があります。ただ、恥ずかしながら、この時のご法話のことを、僕はほとんど覚えていないんです。しっかり聞かせてもらおうと意気込んでいたのはいいのですが、うつらうつらと意識がもうろうとしていて。
ちなみに、帰りの車の中で、
「毛利さん、最後のご法話の時に寝とったでしょ?」
と笑いながら指摘されてしまいました。
「いやいや、意識はちゃんとあったんですよ」
とその時には答えたのですが、次の日、いざ思いだそうとすると、ほとんど何も思い出せませんでした。まったく、お恥ずかしいことです。
そして、閉会式の後は、全体の反省会があります。そこでは、各分級からの代表が、分級でのできごとをや、子供大会の思い出などを発表します。そして、その発表の後に、最後の班評価がありました。班評価では、本当にいろいろと悩まされました。(その分、とてもいい経験になったとも感じています。)そして、優勝の班を発表すると、その班の班長も副班長もきょとんとした顔。だけど、トロフィーやメダルをもらうときには、班員全員、とてもうれしそうな顔をしていました。
そして三泊四日の仏の子供大会も、あっという間に終わりを迎えました。バスで帰る子、車で帰る子。それぞれに大きな荷物を抱えて、帰っていきました。
僕は残って後片付けをする側になり、それをすますと、おやつで残っていたガリガリくんをスタッフの人たちと食べながら一息ついて、海ぼうずを後にしました。
今回の子供大会は、僕にとって強烈に印象に残るものとなりました。それだけに、こうして日記として書いてみたいという思いと、はたしてうまく書けるのだろうかという思いが、僕の心の中でごちゃごちゃとありました。その心は、今も僕の中にまだ少し残っているようです。ただ、こうして文章にさせていただいたのは、僕自身が仏の子供大会での体験を整理し、味わわせていただく機会にもなりました。
長い日記になりましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。