25歳の僕の歩み

このブログは、私が25歳の時にmixiに書いた日記を改めて読み返し、多少加筆訂正したものです。ご一読頂ければ幸いです。 南無阿弥陀仏

カウンセリングとの出会い -傾聴の力-

2011, 5, 5

 

今の僕にとって、仏教とカウンセリングは切っても切り離せないような関係に在ります。 そこで、今回は、僕とカウンセリングとの出会いと、そのことで今感じているところを書いていこうと思います。

 

今からだいたい二年半前。龍谷大学編入してきて一年目の秋ごろ、友達に「真宗カウンセリング(D-pca)」の勉強会に誘われました。

真宗」と「カウンセリング」?

つまり、「仏教」と「カウンセリング」ということ?

その二つって、結びつくものなのか?

僕にとって、「真宗カウンセリング」はとても意外な言葉でした。その時の僕は仏教を学び始めたばかりで、仏教に関するいろんなことに興味を持っていたし、カウンセリングは以前、本で少し読んだだけの自己流のカウンセリングもどきみたいなのをやって、大失敗をしていたので、一度きちんと学んでみたいという思いがありました。

 

それが、僕とカウンセリング(D-pca)との出会いでした。

 

そして、勉強会に何度か出てみて感じたことは、「聴く」ことの大切さでした。僕が学んでいるカウンセリング(PCA)は、カウンセラーが、悩みを抱えるクライエントに対して、いろんな指示やアドバイスを出すものではありません。むしろその逆で、カウンセラーは自分の意見や考えを少し横においておいて、クライエントにしっかりと寄り添いながら、いま・ここでクライエントの中に流れる感情をそのまま聴いていくというものでした。

単に話を聴くだけで、ほんとに悩みが解決するのかと初めは疑問に思うこともありました。しかし、それは僕がカウンセリングで解決すべき問題を勘違いしているということが、だんだん分かってきました。

 

では、解決すべき問題とはなんなのか。僕の学んでいるカウンセリング(PCA)では、一つ一つの悩みを、その悩みに応じて一つ一つ解決していくというのではないんです。むしろ悩みは生きている限り、無限に出てきます。そこで、それらの悩みを解決する、あるいはその悩みと寄り添っていけるような力をその人自身がつけていく、いわゆる「成長する」というものです。

その成長の鍵になるのが傾聴。つまり、相手のいま・ここで起こっている気持ちに耳を傾けて、そのありのままを受けていくという聞き方です。このようなカウンセラーの丁寧な聴き方の中で、クライエントは、自分自身の心の整理をすることができます。そして、自分自身が本当に思っていること、感じていることに対する気づきが起こってきます。その気づきの一つ一つが、クライエントがクライエント自身の力で成長して行くための力強い手助けとなるのです。あるいは、「気づき」がそのまま「成長」といえるかもしれません。

かなり大雑把ではありますが、ここまでがカウンセリングの学問的な学びです。

 

でも、大事なのはここからです。せっかくのカウンセリングも学問の上だけでの理解で止まってしまっていては、机上の空論となりかねません。だからこそ、実践を通した体験的な学びが必要となってきます。

そして、僕はこれらのことを、カウンセリングの実習を通して体験的に学ばせていただきました。そこで感じたことは、「聴く」ことってすごいっ!!ってことです。相手の方に寄り添って、しっかりと丁寧に気持ちを聴かせてもらっていく過程で、相手の中でいきいきと自身に対する気づきが起こってくる様子をみさせていただき、また感じさせていただくことが出来ました。

また、逆に僕がクライエントとして聴いてもらう立場になって感じたことは、自分の気持ちをそのまま聴いてもらうということは、とてもうれしいということです。さらに、自分自身の気持ちという「形なきもの」を「言葉」という形にして出してみることで自分の心の中がすごく整理されていくのを感じました。それに、それまで気付けなかった自分自身の思いと出会うこともありました。そして、何よりすごいのは、それを自分自身で気づいていったということです。

もちろん、カウンセラーの援助があったからこそですが、それは、誰かから教えてもらったのではなく、自分自身が自分自身の気持ちを言葉にしていく過程の中で起こってきた気づきなんです。その気づきの過程こそが、自分自身の成長につながっていくのだと思います。そして、その成長が、生きている限り無限に出てくる様々な悩みに立ち向かう、あるいは寄り添っていくことができる力となるんです。

さらに、真宗カウンセリングになると、そこから法との出会いを求めていくわけですが、この話はまた今度。

 

ということで、僕とカウンセリングの出合いから、今、カウンセリングを通して感じているところを少し書いてみました。今回は抽象的な話が多くなりましたが、また折にふれて、具体的な傾聴の仕方などについてもふれていけたらと思います。