25歳の僕の歩み

このブログは、私が25歳の時にmixiに書いた日記を改めて読み返し、多少加筆訂正したものです。ご一読頂ければ幸いです。 南無阿弥陀仏

聲明と合唱 -東洋と西洋の音楽-

2011, 5,7

 

僕は去年、勤式(ごんしき)指導所というところで聲明(しょうみょう)を習ってきました。聲明とは、簡単にいうと節のついたお経のことです。僕はこれを一年間、学んできました。そして、今ではこの聲明を唱えることが大好きな自分がいます。

また、僕は龍谷大学で二年間、合唱をやっていました。二年間やったとはいえ、僕の合唱の知識は浅はかなものです。だから、勘違いしている部分もあるかもしれませんが、その時は指摘していただけたらと思います。その上で、聲明について合唱との違いや共通する部分にふれながら書いてみたいと思います。(ちなみに、ここでいう聲明とは浄土真宗本願寺派の聲明であって、他の宗派や宗教のものとは異なります)

 

聲(こえ)が明るいと書いて聲明。この「聲」という漢字は、「声」の旧字です。では、なぜわざわざ古い、しかも難しい漢字を使うのかというと理由があります。それは、聲明はただ単に口から声を出すものではないからです。聲明における声とは、口だけでなく、殳(からだ)全体を使って出すもの。またしっかり耳をはたらかせながら出すものなんです。そういう意味を含めて、聲明という字を使っています。

 

ではまず、僕が習った聲明の中で、最も基本的かつ最も重要なものを紹介します。それは、「スク」です。スクと書いてスグと読みます。少しややこしいですね。昔は濁点を省略して書いていたようで、その名残が残っているようです。また、これは「真っ直ぐ」の「すぐ」からきているとも言われています。その由来からもわかるように、スクとは真っ直ぐな一定の音のことです。聲明には、様々な複雑な節もたくさんありますが、唱えるお経の全体をみれば、その八割以上はこのスクになります。それぐらい聲明の中に多く出てきて、なおかつ単純で簡単そうにみえるスクですが、ここに聲明独特の雰囲気というものがつまっています。僕が習っていた先生の中には、

 

スクを制するものは 真宗聲明を制す

 

とまで言われていた方もありますし、勤式でいろんなことを学んできた上で、今の僕自身もそうだと思っています。

 

では、聲明におけるスクとはどのように唱えるのかを少し説明したいと思います。ここからは、少し想像力がいります。

まず、静かな湖面を想像して下さい。そこに一陣の風が吹きます。その風は陸へとのぼり、そこに生える木々を激しく揺らします。そして、風は山の彼方へと静かにきえていきます。これが、スクです。

……といわれても、何のことやらさっぱりわかりませんよね。でも、このイメージを持つことは、とても大切なんです。聲明の節は、元々は大自然界に流れる様々な音や相(すがた)を元に作られているんです。だから、この自然の流れというものを頭の中で、また心の中で感じていくのも大切なことなんです。

 

それでは、具体的にどのように唱えるかということを、今度は少し理屈っぽく説明していきます。

まず、聲の入りです。入りは、出したい音よりも少し低い音から、スゥーと入っていきます。急にバンッと入るのではなく、その場の雰囲気を崩さないように、静かに柔らかく入っていきます。

そして響き。立ち並ぶ木々の葉や枝を風が揺らすように、聲に力強く響きをつけます。

最後に、山の彼方へと風がフワッときえていくように、柔らかく、丁寧に聲を消していきます。これがスクの唱え方です。

 

ここで、合唱をやっていた方なら、いろいろと違いに気づかれたと思います。

僕が合唱をやっていたときに教えてもらっていた聲の出し方は、下の方(低い音)から「ずり上げ」るのではなく、真っ直ぐにその音を狙うように出す。もしくは、上の方(高い音)をイメージして、そこから下りてくるように出す。

また、入りは小さな音から大きい音になる「あとなり」にならないように、パンッとはっきり入る。というようなものでした。

 

先ほどのスクとは間逆ですね。でも、この違い、聲明と合唱のそれぞれの音楽的な特徴の違いが顕著に出ていて、とてもおもしろいなぁと思いました。いうなれば、東洋音楽(聲明)と西洋音楽(合唱)の違いということになるんじゃないでしょうか。ただし、聲明も合唱もあくまで東洋や西洋の数ある音楽の中の一つではありますが。だけど、このことは合唱をやってから聲明に入ったからこそ、顕著に感じることが出来たものでないかなぁと思います。

 

それに、聲明と合唱、音楽的に共通する部分ももちろんあるんです。それは、「いい声」です!合唱でいうなら、ベルカントでしょうか。もちろん、目指すところの聲の質に違いはありますが、それでも、互いに聲を使う音楽として目指すところは「いい声」なんです。

 

ちなみに、勤式の先生の中に、混声合唱ラポール(僕が所属していた龍大の合唱サークル)出身の方が何人かおられたことには驚きました。しかも、そのうちの一人は正指揮者までされていたそうです。

 

というわけで、聲明について合唱にも少しふれながら、ざっと書いてみました。まだまだ書ききれてないところや、もっと詳しくふれてみたいなぁと思うところもありますが、今回はここまでにしておきます。

また、今回は聲明の音楽的な側面に着目して書いてみましたが、また折にふれて、聲明の中身。その唱えられている言葉にも着目しながら書いてみたいと思っています。合唱でも、その歌の歌詞の解釈がとても重要なように、僕は聲明においても、その唱えている言葉の解釈が、とても重要になると思っています。