25歳の僕の歩み

このブログは、私が25歳の時にmixiに書いた日記を改めて読み返し、多少加筆訂正したものです。ご一読頂ければ幸いです。 南無阿弥陀仏

話し手中心のカウンセリング -優しさと尊敬の態度-

2011, 5, 19

 

今回は、僕が今学んでいる「話し手中心のカウンセリング」について、書いてみたいと思います。また、今回この内容で日記を書こうと思った背景の中には、コメントを通して、僕の心が動かされたというところもあります。

 

それでは、始めます。

まず、カウンセリングと一口に言っても、カウンセリングには様々な種類があります。その中で、今僕が学んでいるのが、この「話し手中心のカウンセリング」ということになるのですが、これは言葉を変えると、「来談者中心療法」とか、「クライエント中心カウンセリング」とか、あるいは「人間中心のアプローチ(PCA:Person-Centered Approach)」などとも呼ばれたりします。このカウンセリングは、アメリカのカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers)という方が提唱されたものです。

「話し手中心のカウンセリング」というのは、その名前の通り、話をされる方が中心となるカウンセリングです。どういうことかというと、これは以前の日記の中でも少しふれてきたことですが、聞き手側(カウンセラー)が話し手側(クライエント)に対して、

「あなたは、ああした方がいいのでは?」

「あなたは、こうした方がいいですよ」

といったようなアドバイスや指示をするのではなくて、カウンセラーは、クライエントに寄り添いながら、クライエントの気持ちに耳を傾けて傾聴していく。その過程の中で、クライエントに様々な気づきが起こり、その気づきを通じて、クライエント自身が成長していくというものです。つまり、クライエント自身の気づき、そしてクライエントの人間的な成長を中心としたカウンセリングなんです。だから、「話し手(クライエント)中心カウンセリング」といいます。(ここからは、説明を円滑に進めていくために、「話し手中心のカウンセリング」を「クライエント中心のカウンセリング」と書いていきます。逆にややこしく感じたり、難しく思われたのなら、申し訳ありません。その時は、また教えていただければ幸いです)

そして、このカウンセリングにおけるカウンセラーの役割は、クライエント自身の成長を「寄り添いながら補助する」ということになります。

 

では、ここで「クライエント中心のカウンセリング」における「寄り添いながら補助する」ための最も大切なポイントを紹介します。

 

それは、カウンセラーの「態度」です。

 

「クライエント中心のカウンセリング」では、「話の聴き方」という「技術」的なものよりも、カウンセラーのクライエントに対する「態度」に重点を置いています。もちろん「技術」も大切ですが、その「技術」の根底を支えるものとして、「態度」があるというのです。

 

では、その「態度」とは、どのようなものなのでしょうか。

それは、クライエントに対して「優しさ」や「尊敬」の気持ちを持って接するということです。

 

それでは、「優しさ」と「尊敬」について、その中身を詳しくみていきます。まず「優しさ」ですが、これは、

 

 ・あなたが「いま・ここ」で思っていることや感じていることを、何でも自由  に話して下さい。

 ・私は、そのことをありのままに受け取ります。

 ・そして、ここで話されたことの秘密は、必ずお守りします。

 ・だから、安心してご自分の気持ちをお話し下さい。

 ・もちろん、話したくなければ黙っていただいていてもかまいません。

 

といったような気持ちです。

次に「尊敬」ですが、これは、

 

 ・あなたのことを、ひとりの人間として尊敬します。

 ・ひとりの人間として、「いま・ここ」でのあなたの思い、考えを尊敬します。

 ・また、「過去」から「いま」に至るまでのあなたの経験を尊敬します。

 ・そして、あなたの中に流れる人間としての成長力を信頼し、尊敬します。

 

といったような気持ちです。

また、この二つを少し難しい言葉を交えて表現するならば、「いま・ここ」にいるクライエントに対する、カウンセラー側の「無条件の肯定的・受容的態度」ということになると思います。

 

さて、このようなカウンセラーの「態度」ということを読まれて、どのように感じられたでしょうか?読み手の方によって、それぞれ感じられるところは違ってくるとは思いますが、僕がこのような「態度」について、初めて知った時に思ったことは、

「こんなのできるの? いや、むしろできないでしょ」

ということでした。特に僕の場合、「相手に対して、何か力になりたい」という思いは割と強くあったので、「優しさ」ということに関しては、なんとかなりそうだと思ったのですが、「尊敬」ということは、とても難しいなぁと思いました。

僕にとって、「尊敬」ということには様々な条件が付いていました。でも、その条件を簡単にいうと、それは「僕からみて、すごい人」というものでした。もしかしたら、あたりまえのことかもしれませんね。「尊敬」というのは、自分からみて、「すごい人」に出会ったときに起こる感情だと思います。

「だけど、はたして話を聞かせてもらう人、全員を尊敬することが出来るのか?いやいや、それはとてもじゃないけど無理なんじゃないかなぁ」

というのが、僕の最初の思いでした。

 

だけど、それからカウンセリングについて、学問的にも体験的にも学んでいく中で、この思いは、少しずつ変化してきています。その変化の最大の要因は、話を聞く過程の中で起こってくる僕自身の気づきでした。

その気づきとは、話をされるクライエントだけでなく、話を聞くカウンセラー側にも気づきが起こってくるということでした。その気づきとは、例えば、

 

「あっ、この人はこんなことを言いたかったんだ。」

「なるほど、この人はこんな経験をしてきたんだ。」

「おぉ、この人の考えはすごいなぁ。」

 

などなど、これはケースによって様々ですが、だけど、相手の話をしっかりと聞いていく中で、その人自身の「真の人間性」といえるようなものに出会うことがあるんです。

また、その人間性には、しっかりと話を聞いていかなければ、出会うことは限りなく難しいなぁと思いました。なぜかというと、それは話を聞いていく中で、僕の中にあった相手に対する誤解や偏見に気づかされることが何度もあったからなんです。つまり、話を聞かせていただくことで、相手の本当の相(すがた)に出会わせてもらうことができる。今は、そのような感じがしています。

そして、このような相手に対する気づきから、相手に対する「尊敬」の気持ちが、不思議と自然にわき起こってくることが何度もありました。「この人すごい」と素直に思えるのです。

 

このことを踏まえて、カウンセラーの態度ということをもう一度考えてみると、初めからクライエントに対して、「優しさ」や「尊敬」の念を抱くことは難しいかもしれないけれど、そのような態度は、クライエントの話を聞いていく中で、自然と育まれてくる事がある。これが、今の僕の実感しているところです。もちろん、「事がある」ということなので、そうならない場合もあります。

 

また、「話しを聴く」あるいは「話しを聴いてもらう」という経験を重ねる中で、僕の中の「人間観」が少しずつ変化してきています。それは、以前にも何度か話してきているように、「人間の持つ成長力への信頼」が僕の中で少しずつ大きくなってきているのです。それは、自分自身や相手自身が「気づき」の中で、いきいきと成長して行く過程をみさせてもらってきたという経験から出てくるものです。

そして、「人間の持つ成長力への信頼」は、僕に「人の話を聴く」ということに対する「安心感」を与えてくれます。安心して人の話を聴くことができる。それは、他の事をあれこれと気にすることなく、「いま・ここ」のその人の話に集中することが出来るということに繋がってきています。

 

以上が、カウンセリングを学んできた中で、今僕の中に起こってきている変化です。そして、ここまで述べてきたようなカウンセラーの態度がクライエントに伝わった時、クライエントは安心して、自由に、のびのびと自分自身を表現することが出来るようになるのです。

 

今回は、「クライエント(話し手)中心のカウンセリング」と題して、そのカウンセリングにおいて最も大切にされているカウンセラーの「態度」について書いてみました。

今後は、引き続き「カウンセリングに学ぶ話の聴き方」の続編や、今回の話の延長線上にある「自己一致」「受容」「共感的理解」などについても、僕なりのところで書いていきたいと考えています。