どうして仏教にはいろんな宗派があるのか? -聖道門と浄土門-
2011, 6, 15
今回は、「どうして仏教にはいろんな宗派があるのか?」ということについて、書いてみたいと思います。実はこれ、龍谷大学に入るまでに僕の中にあった疑問でもあるんです。
僕の家は浄土真宗ですが、他にも天台宗や真言宗、日蓮宗や禅宗などなど、仏教と一口にいっても、いろんな宗派があります。なぜ、同じ仏教なのに、いろんな宗派があるのでしょうか。
実はそれは、お釈迦さまの説法の仕方に起因するものなんです。お釈迦さまの説法は、対機説法(たいきせっぽう)といって、教えを聞く人ごとの能力・資質にふさわしい説き方をされました。またそれは、応病与薬(おうびょうよやく)ともいわれ、病に応じた薬を与えるような説法であるといわれています。(ちなみに、「仏さまは最良のカウンセラー」ということをいわれることもあるのですが、その由縁はここにあります。)
このように、人に応じて様々な説かれ方をされているため、お釈迦さまの教えは、八万四千の法門といわれます。(八万四千とは、多数という意味です。)
そこに、いろいろな宗派が生まれてくる理由があります。つまり、仏さまであるお釈迦さまが説かれた教えはどれも仏になるための法、仏教ですが、その中のどの教え、どの経典を拠り所にするかによって、宗派が異なってくるんです。ですので、仏教にはいろいろな宗派が存在するんです。
ただ、ここで一つだけ断っておきたいのは、あくまでも仏さまが説かれた教えが仏教であり、仏さまになるための教えが仏教です。ですので、現在仏教を掲げる宗派はたくさん存在しますが、その教えが、「この私が仏になるための教え」でなければ、それは仏教ではありません。
さて、ではもう少し話を進めていきたいと思います。仏教には様々な宗派が存在しますが、それらの分類わけということもされています。
いろいろな分け方があると思いますが、今回はその中の一つ、サブタイトルにもあります聖道門(しょうどうもん)と浄土門(じょうどもん)という分け方を紹介したいと思います。
この分け方を説かれたのは、中国の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)というお方です。実はこの方、前の日記で少し紹介した善導大師(ぜんどうだいし)のお師匠さまでもあります。(善導大師のことは、2011/06/08「仏さまの唄」で紹介しています。)
道綽禅師は少年時代に、時代の激動に伴う大飢饉(ききん)や、過酷な廃仏(はいぶつ:仏法を排斥すること。仏教弾圧)を経験されました。そのような厳しい時代の中、禅師は時代と人間の機根(きこん:資質・能力)に応じた教えというのを求められた方でした。そのような道綽禅師が明かされたのが、聖道門と浄土門という仏教の分け方です。
「聖道門」とは、この世の中で一生懸命修行をしてさとりを開き、仏さまになろうとする教えです。
「浄土門」とは、阿弥陀仏という仏さまの願力によって浄土へ往生して、そこでさとりを開き、仏さまになろうとする教えです。
そして、道綽禅師は浄土門の教えこそ、時代と人間の機根に相応した教えであると説かれました。(ちなみに、浄土真宗も浄土門の中の一つです。)
さて、今回は仏教の宗派がたくさんある理由を紹介して、そのたくさんある宗派の分類方法の一つ、聖道門と浄土門という分け方を紹介しました。また折をみて、この聖道門と浄土門の仏教の特色や、仏教的な時代の観方というのも紹介してみたいなぁと思っています。