25歳の僕の歩み

このブログは、私が25歳の時にmixiに書いた日記を改めて読み返し、多少加筆訂正したものです。ご一読頂ければ幸いです。 南無阿弥陀仏

 話し手中心のカウンセリング2 -そのままの自分でいられる場所-

2011, 7, 23

今回は、話し手中心のカウンセリング2ということで、「そのままの自分でいられる場所」ということについて書いてみたいと思います。

ちなみに、「2」ということなので、「1」もあります。

milleface.hatenablog.com

また、この他にもいくつかカウンセリングについて僕なりのところでふれている日記はありますので、よかったら読んでみてください。

 

さて今回は、先日、「真宗カウンセリング研究会」の月例会で輪読させていただいたロジャーズの論文から少し抜粋しながら、まず、「自画像(じがぞう)」というところについて、みていきたいと思います。

わたくしたちは子どものころから現在にいたるあいだに、自分とはこういうものだとなんらかの形できめ込んでしまうようになっています。そうして築きあげた自分の姿は、現実の自分に合っていることもありますし、そうでないこともあります。

 自分で築きあげた自分の姿。これが、自画像です。そしてこれは、ロジャーズの言っている通り、誰しも持っているものじゃないかと思います。

さらにそれは、現在の自分、つまり、「いま・ここ」の自分を、きちんととらえていることもあるし、誤ってとらえていることもあります。

さて、そのことについてロジャーズはこのように述べています。 

自分のことをこうだと思っているそのとおりの経験をしたときには、その経験を喜んでわたくしたちは受け入れがちです。しかし、そのとおりでない経験を受け入れることはむずかしく、自分の姿への執着が非常に強いときには、それを信じようともしなくなります。

心の中の自画像は必ずしもよいものとは限りません。人によっては自分を無能なつまらない人間と考えていることもありましょう。実際には仕事ができると思われているのに、自分でそんなふうに感じてしまっているのかもしれません。こう感じてしまうと、その感じに合わない経験は受け入れられなくなってしまいます。つまり、ほかの人から有能だといわれても信じられなくなってしまうのです。その人にとっては、“自分はダメな人間だ”という自画像をこわさないことが大切になり、それを変えようとする働きかけも自分に対する脅威と受けとってしまって抵抗するようになります。こんな場合、給料をあげてやっても、“会社に申しわけない”などと考えてしまいます。

この文章を読んでみて、僕は、なんだか自分によく当てはまるなぁと感じました。

僕の場合、自分が思っているとおりのことはすぐに受け入れることができるけど、予想外のことは、なかなか受け入れることが出来ない。特にそれが、今の自分にとって都合の悪いことならば、なおさら受け入れることが難しい。

また、自分がそうじゃないと思っているところでほめられても、自分は反対のことを思っているから、相手の言葉を適当に受け流したり、自分の思いを守るように頑なになってしまう。

でもそれは、よくよく考えてみたら、「そのままの自分でいられる場所」がないから、そうなってしまうんじゃないかなぁと思いました。それは、「いま・ここ」の自分自身のことを肯定的にみていようと、否定的にみていようと、「そのままの気持ち」でいられる「場」のことです。もし、自分の心に余裕があるときであれば、自分自身の中に、その「場」をつくることもできると思います。

だけど、そうじゃないとき。そんなときに、ひとこと、「そうか、きみはそういうふうに思っているんだね。」という気持ちを受け取ってくれる言葉があれば、自分の気持ちの居場所をその相手との間の「場」にみつけることができるんじゃないかと思います。

そして、その言葉の背景にあるのが、「あなたのそのままの気持ちを大切にします。」という気持ちであり、態度です。

 

さて、それではここで、先ほどのロジャーズの言葉の続きを紹介します。

こうした背景があるのですから、人の態度を変えようとしたり、心の中の自画像を訂正させようと直接的にやってみても、相手は脅威としてしか受け取りません。自分を守ることにきゅうきゅうとするか、頭からこちらのいうことを信じないかのどちらかになってしまうのです。このようにこちらのいうことを信じなかったり、自己防衛が強かったりしますと、その人は頑固な融通のきかない人になるわけですから、適応も大変むずかしいといえましょう。

このことを述べた後、ロジャーズは次の章で「積極的な聴き手になること」について論説しています。

僕はカウンセリングの学びを通して、「聴く」ということに対して、とても関心をもつようになりました。そんな中で、日常生活の会話などを通して、自分の話を、自分の気持ちを聴いてもらえないと、とても寂しい気持ちになり、心がきゅぅっと堅くなっていくのを感じることが何度もありました。ロジャーズが言う、「頑固な融通のきかない人」というのは、そんなふうに自分の心がきゅうっとしぼんで硬くなってしまった人なんじゃないかと思います。

でも逆に、自分の気持ちを聴いてもらえたと感じた時には、とてもうれしい気持ちになり、心が解き放たれて、柔らかくなっていくことを感じさせてもらうことも何度かありました。それは、前向きな気持であっても、後ろ向きな気持ちであっても、「いま・ここ」で感じている自分自身の思いを相手に受け取ってもらえたというような体験です。

そうすると、自然と今の自分の気持ちに安心することができて、他の人の話も、素直に自分の中に入ってくるように感じます。それは、「そのままの自分でいられる場所」をその「場」にもらえたからだと思います。

もちろん、常に人の話を「聴く」ということは、難しいと思います。だけど、僕にできるところで、友達、家族、身近な周りにいる人たち、そして縁ある人との間の中に、「そのままの自分で居られる場所」をつくっていけたらと思います。

 

☆☆参考論文☆☆

カール・ロジャーズ著、友田不二男編訳、「カウンセリングの立場」第17章 個性。