法然聖人のご生涯1 -道を求めて-
2011, 7, 29
今回は法然房源空聖人(ほうねんぼう げんくうしょうにん)という方について、そのご生涯を今回と次回の二回に渡って書いてみたいと思います。
法然聖人は、浄土宗の開祖(かいそ:浄土宗を開いた人)であり、浄土真宗の開祖とされている親鸞聖人(しんらんしょうにん)のお師匠さまにあたる方です。
浄土真宗という宗派ができるまでにはいろいろな過程があるのですが、親鸞聖人ご自身は、唯円(ゆいえん)というお弟子が書かれた『歎異抄(たんにしょう)』という書物の中でこのように述べられています。
(原文)
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。
(訳)
この親鸞においては、「ただ南無阿弥陀仏と念仏して、阿弥陀さまに救われ往生させていただくのである」という法然聖人のお言葉をいただき、それを信じているだけで、他に何かがあるわけではありません。
つまり、親鸞聖人は法然聖人の教えをそのまま信じ、受け継がれたという立場に立たれておられるんです。そのようなこともあり、法然聖人は浄土真宗の教えに深く関わっておられる方なんです。
さて、それでは法然聖人のご生涯についての話題に入っていきたいと思います。
1133年、平安時代の末期。法然聖人は美作国(みまさかのくに:岡山県)にお生まれになりました。
そして、法然聖人は9歳の時、夜襲にあい、目の前で父を亡くします。父は死に臨んで、一人息子の法然聖人に遺言をされました。その遺言は、『黒谷源空上人伝』の中で次のように伝えられています。
(取意)
私はこの傷によって死んでいかねばならない。しかし、決して敵を恨んではならん。もしもお前が仇(かたき)を討つようなことがあれば、親から子へ、子から孫へと、仇討ちの争いは絶えることはない。生きている者は誰でも死にたくはないのだ。私はこの傷に痛みを感じているが、他の人もまたそう感じないはずがない。私はこの命を大切だと思うが、他の人もまたそう思わないはずはない。自分の身に引き当てて考えなければならない。だから、ただただ自分も他人も共に救われることを願い、恨みの心なく、親しい者も、親しくない者も共に一緒に救われることを思ってほしい。
このように言い終わって、聖人の父は命終わったということです。
法然聖人は父の遺言に従い、その後間もなく菩提寺(ぼだいじ)というお寺にいき、叔父である観覚(かんがく)という僧侶(そうりょ:お坊さん)のお弟子になられました。
しかし観覚は法然聖人の優れた才能を見抜かれて、それを存分に発揮できるよう、徳の高い僧侶や、学問の深い僧侶がおられる比叡山(ひえいざん)へ聖人を送ることにしました。それは、聖人が13歳の時でした。
しかし、実はこの時代の比叡山は、地位や権力を奪い合っているような俗世間(ぞくせけん:一般社会)とかわらない有り様でした。
そこで聖人は、世間的な栄達や出世の道を捨てて、父の遺言を堅く守られ、本当に自分が救われ、また他者も救われる、仏と成るための道を求めて、比叡山の中でも、黒谷別所(くろだにべっしょ)というところへ移られました。黒谷は、名誉や地位を捨てて、真剣に道を求める人たちの集まるところでした。そのような環境の中で、法然聖人はより一層、学問や修行に励まれるのでした。
また聖人は、比叡山の中だけではなく、奈良の興福寺(こうふくじ)や東大寺(とうだいじ)などの学者にも会われ、その教えを聞き、道を求められました。
しかし、それでも法然聖人の期待しておられたものは得られませんでした。
そして再び黒谷に戻り、学問や修行を励み続けられました。
法然聖人は日本に伝来したすべてのお経を、あますところなく何度も読破されていきました。人々はそのような聖人を、「智恵第一(ちえだいいち)の法然房(ほうねんぼう)」と賞賛したといわれています。
そして月日は流れ、法然聖人43歳の時。いつものように黒谷にある膨大な量のお経を読みふけっておられた聖人は、善導大師(ぜんどうだいし)が著された『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物の中の、(善導大師については、2011/06/08「善導大師、日没の無常偈」という日記の中で紹介していますので、よかったら参照してみてください。)
(書き下し文)
一心にもっぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に時節(じせつ)の久近(くごん)を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。
(訳)
ただひとすじに阿弥陀さまの名号(みょうごう:名前)である「南無阿弥陀仏」を称えて、いついかなるときも、また称える時間の長い短いを問わずに、阿弥陀さまのおはたらきのままに、ただただ称えさせていただく。これを、正しくすべてのものが阿弥陀さまの浄土へ往生することが決定する行(ぎょう:おこない)と名づける。それは、阿弥陀さまの本願(第十八願)にしたがっているからである。
(「本願」については、2011/06/29「阿弥陀という仏さま2」の中でふれていますので、よかったら参照してみてください。)
という文に出遇われました。ここに初めて、法然聖人は求め続けてきた道を見出され、念仏往生の教えに帰依(きえ:服従し、すがること)されたのでした。
その時の法然聖人の有様は、『和語灯録』という書物の中で、次のように伝えられています。
(取意)
人の心は移りやすいもの。まるで猿が木の枝から枝に移りかわるように少し もじっとしていることはない。本当に心は散乱して動きやすく、一つ所に静かに止まることはない。このような心でどうして仏となることができるだろうか。あぁ悲しい。一体、どうすればいいのか。私のような者には、仏教の戒律(かいりつ)も修行も智慧(ちえ)も、到底およばない。この仏教のほかに、私にふさわしい教えはないのだろうかと、すべての智者に尋ね、たくさんの学者のもとを訪れたけれども、教える人もなく、示す人もなかった。そんなわけで、なげきなげき、経蔵(きょうぞう:お経が収められている蔵)に入り、悲しみ悲しみお経に向かい、手に取って開いて見ていたところ、善導大師のあの文が目に入ってきました。そして確信しました。私らのような無智の者は、ただただこの文を仰ぎ、もっぱらこの阿弥陀さまの本願をたのみにして、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えさせていただき、阿弥陀さまの浄土へ往生させていただくべきです。このことは、ただ善導大師の教えを信じるだけではなく、あつく阿弥陀さまの本願にしたがっているのです。善導大師のお言葉が深く魂に染み、心に止まりました。
しかし、善導大師の念仏一つによって阿弥陀さまの浄土へ往生することを得 るという教えは、比叡山に伝えられている様々な教えや修行をすべて捨て去ることでもありました。その教えに帰依された法然聖人は、もう黒谷に留まることはできませんでした。
そして、法然聖人は黒谷の地を発たれ、比叡山を降りられるのでした。
さて、今回はここまでにして、続きは次回に回したいと思います。
☆☆参考文献☆☆
米文学史とゴーヤチャンプルー
2011, 7, 27
ひさびさに気楽な日記です(笑)
僕が今とっている授業の中に、「米文学史」という授業があります。名前の通り、アメリカの文学の歴史を学ぶ授業です。
ただ、授業中にざわついていることがよくあります でも、この授業の先生はそんなことはそっちのけで、マイペースにご自分のレジュメを読んでいかれます。
私語が気になるときもありますが、まぁ、個人的には授業内容におもしろさを感じているのでいいかなぁという感じで居ます。
アメリカの歴史に沿いながら、そこに生まれてくる文学作品にふれていくことは、学んでみると案外おもしろいです。当たり前のことなのかもしれませんが、文学作品とその時代背景とは密接に関係しています。そのことを、この授業を通して感じさせてもらっています。
さてさて、それでその先生が最近の授業で、先生ご自身が実践されているお勧めの夏バテ対策、「ゴーヤチャンプルー」を紹介してくれました。
紹介するのはいいんですが、相変わらず教室はざわついていました。「先生の話、みんな聞いてないだろうなぁ 」という僕の心配もなんのその 先生は、ゴーヤの苦みを抑えるポイントから、一緒に炒める具材や味付けのこだわりまで、マイペースに語ってくれました。
先生によると、ゴーヤは
- 種の部分をしっかりとり、
- なるべく薄く切って、
- 塩もみをすると
苦みを抑えることができるそうです。
それから、具材はゴーヤと豚肉。豚肉も優れた夏バテ対策の食品のようです。
後は、味付け。これは「塩」と「黒酢」のみなんだそうで、これが暑い夏でも食欲をそそるのだと、熱心に語っていました。
さてさて、それで今日、たまたまスーパーで「ゴーヤ」を見かけたので先生の授業のことを思い出し、思い切って作ってみることにしました。
具材はゴーヤ、豚肉、モヤシ、卵。それで、味付けなんですが、塩はいいのですが、黒酢はないので、米酢で代用。ただ、酢は普段、あまり使ってないので、味付けで使うのには、だいぶ抵抗がありました。
だけど、使ってみて驚きました。酢のおかげで味が引き締まって、予想以上においしくなりました それに、酢の酸味が、また食欲をそそります。
いや~、さすが先生があれだけ勧めるだけはあるなぁと今頃になって思いました(笑)それに、あの時の授業がこの「ゴーヤチャンプルー」に繋がってるのかと思うと、なんだか不思議な気分。
さぁ、これで夏バテを解消して、テスト勉強とレポート、せっせとがんばりますかね。
話し手中心のカウンセリング2 -そのままの自分でいられる場所-
2011, 7, 23
今回は、話し手中心のカウンセリング2ということで、「そのままの自分でいられる場所」ということについて書いてみたいと思います。
ちなみに、「2」ということなので、「1」もあります。
また、この他にもいくつかカウンセリングについて僕なりのところでふれている日記はありますので、よかったら読んでみてください。
さて今回は、先日、「真宗カウンセリング研究会」の月例会で輪読させていただいたロジャーズの論文から少し抜粋しながら、まず、「自画像(じがぞう)」というところについて、みていきたいと思います。
わたくしたちは子どものころから現在にいたるあいだに、自分とはこういうものだとなんらかの形できめ込んでしまうようになっています。そうして築きあげた自分の姿は、現実の自分に合っていることもありますし、そうでないこともあります。
自分で築きあげた自分の姿。これが、自画像です。そしてこれは、ロジャーズの言っている通り、誰しも持っているものじゃないかと思います。
さらにそれは、現在の自分、つまり、「いま・ここ」の自分を、きちんととらえていることもあるし、誤ってとらえていることもあります。
さて、そのことについてロジャーズはこのように述べています。
自分のことをこうだと思っているそのとおりの経験をしたときには、その経験を喜んでわたくしたちは受け入れがちです。しかし、そのとおりでない経験を受け入れることはむずかしく、自分の姿への執着が非常に強いときには、それを信じようともしなくなります。
心の中の自画像は必ずしもよいものとは限りません。人によっては自分を無能なつまらない人間と考えていることもありましょう。実際には仕事ができると思われているのに、自分でそんなふうに感じてしまっているのかもしれません。こう感じてしまうと、その感じに合わない経験は受け入れられなくなってしまいます。つまり、ほかの人から有能だといわれても信じられなくなってしまうのです。その人にとっては、“自分はダメな人間だ”という自画像をこわさないことが大切になり、それを変えようとする働きかけも自分に対する脅威と受けとってしまって抵抗するようになります。こんな場合、給料をあげてやっても、“会社に申しわけない”などと考えてしまいます。
この文章を読んでみて、僕は、なんだか自分によく当てはまるなぁと感じました。
僕の場合、自分が思っているとおりのことはすぐに受け入れることができるけど、予想外のことは、なかなか受け入れることが出来ない。特にそれが、今の自分にとって都合の悪いことならば、なおさら受け入れることが難しい。
また、自分がそうじゃないと思っているところでほめられても、自分は反対のことを思っているから、相手の言葉を適当に受け流したり、自分の思いを守るように頑なになってしまう。
でもそれは、よくよく考えてみたら、「そのままの自分でいられる場所」がないから、そうなってしまうんじゃないかなぁと思いました。それは、「いま・ここ」の自分自身のことを肯定的にみていようと、否定的にみていようと、「そのままの気持ち」でいられる「場」のことです。もし、自分の心に余裕があるときであれば、自分自身の中に、その「場」をつくることもできると思います。
だけど、そうじゃないとき。そんなときに、ひとこと、「そうか、きみはそういうふうに思っているんだね。」という気持ちを受け取ってくれる言葉があれば、自分の気持ちの居場所をその相手との間の「場」にみつけることができるんじゃないかと思います。
そして、その言葉の背景にあるのが、「あなたのそのままの気持ちを大切にします。」という気持ちであり、態度です。
さて、それではここで、先ほどのロジャーズの言葉の続きを紹介します。
こうした背景があるのですから、人の態度を変えようとしたり、心の中の自画像を訂正させようと直接的にやってみても、相手は脅威としてしか受け取りません。自分を守ることにきゅうきゅうとするか、頭からこちらのいうことを信じないかのどちらかになってしまうのです。このようにこちらのいうことを信じなかったり、自己防衛が強かったりしますと、その人は頑固な融通のきかない人になるわけですから、適応も大変むずかしいといえましょう。
このことを述べた後、ロジャーズは次の章で「積極的な聴き手になること」について論説しています。
僕はカウンセリングの学びを通して、「聴く」ということに対して、とても関心をもつようになりました。そんな中で、日常生活の会話などを通して、自分の話を、自分の気持ちを聴いてもらえないと、とても寂しい気持ちになり、心がきゅぅっと堅くなっていくのを感じることが何度もありました。ロジャーズが言う、「頑固な融通のきかない人」というのは、そんなふうに自分の心がきゅうっとしぼんで硬くなってしまった人なんじゃないかと思います。
でも逆に、自分の気持ちを聴いてもらえたと感じた時には、とてもうれしい気持ちになり、心が解き放たれて、柔らかくなっていくことを感じさせてもらうことも何度かありました。それは、前向きな気持であっても、後ろ向きな気持ちであっても、「いま・ここ」で感じている自分自身の思いを相手に受け取ってもらえたというような体験です。
そうすると、自然と今の自分の気持ちに安心することができて、他の人の話も、素直に自分の中に入ってくるように感じます。それは、「そのままの自分でいられる場所」をその「場」にもらえたからだと思います。
もちろん、常に人の話を「聴く」ということは、難しいと思います。だけど、僕にできるところで、友達、家族、身近な周りにいる人たち、そして縁ある人との間の中に、「そのままの自分で居られる場所」をつくっていけたらと思います。
☆☆参考論文☆☆
カール・ロジャーズ著、友田不二男編訳、「カウンセリングの立場」第17章 個性。
浄土真宗の教え2 -自力と他力-
2011, 7, 19
今回は、浄土真宗の教え、その2ということで、「自力(じりき)」と「他力(たりき)」について、書いてみようと思います。
書いていくんですが、その前に、この日記は、仏教の教えや考え方を読み手の方に押し付けるのが目的ではありません。ただ、僕自身が今喜ばせていただいている仏教、僕の場合は浄土真宗になりますが、そこのところをぜひ紹介したいなぁという思いで書いています。ですので、ご自身のペースで読んでいただければ幸いです。
さて、では「自力」と「他力」という言葉ですが、一般的な理解としては、
「自力」は、自分の力
「他力」は、他人の力
というものがほとんどではないかと思います。
しかし、「自力」にしても「他力」にしても、元々は仏教用語です。そして、そのことを踏まえて二つの言葉を考えてみると、そこには、「仏に成る」という方向性がついてきます。どういうことかというと、
「自力」は、自分の力で仏に成る道
「他力」は、自分以外の他の力によって仏に成る道
という二つの道を表す言葉だということです。
さて、ではもう少し詳しく、その中身にふれていきたいと思います。
まず、「自力」。先ほども述べたように、「自力」とは、自分の力で仏に成る道です。
そのためには、悪いことをせずに、善いことをする必要がある。例えば、仏教で説かれる悪いことの一つに、十悪(じゅうあく)というのがあります。このような悪いことをせずに、善いことをするのです。(十悪については、2011/05/26「仏教の罪悪観」の日記で詳しくふれていますので、よかったら参照してみてい下さい。)
そして、善いことというのは、仏さまの説かれた教えの通りに修行していくことです。それが、仏教の上での善いことです。自分自身で一生懸命修行を積み重ねて、迷いを断ち切った仏さまに成るのが、「自力」の道です。そしてこれは、以前の日記でも紹介した聖道門(しょうどうもん)の道です。(聖道門については、2011/06/15「どうして仏教にはいろんな宗派があるのか?」の日記の中で紹介していますので、よかったら参照してみてください。)
では次に、「他力」についてみていきたいと思います。「他力」は、自分以外の他の力によって仏に成る道です。つまり、自分自身で修業をして仏に成る道ではないということです。そして、「他力」の上で最も大切なことは、「他」が何を指す言葉なのかということです。
「他」とは、「阿弥陀仏(あみだぶつ)」という仏さまを指す言葉です。つまり「他力」とは、「阿弥陀さまの力」ということです。
決して、「他の人」を指す言葉ではありません。そこのところで、よく誤解が生じているのが、「他力本願(たりきほんがん)」という言葉です。この言葉は、
「他人まかせ」
「他人の力に頼る」
という意味ではないんです。
また、「本願」とは、阿弥陀さまの四十八の願いの中の根本の願いである「第十八願」のことです。その願いとは、
私が仏になるとき、すべての人々が心から信じて、私の国に生まれたいと願い、わずか十回でも私の名前を称えて、もし生まれることができないようなら、私は決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗る(そしる)ものだけは除かれます。
という願いです。この願いを指して、「本願」というのです。(阿弥陀さまや、その願いについては、2011/06/27~07/01「阿弥陀という仏さま」という三回にわたる日記の中でふれていますので、よかったら参照してみてください。)
そして、阿弥陀さまの本願の力で仏さまに成るのが「他力」の道です。これは、浄土門(じょうどもん)の道であり、浄土真宗における仏に成るための道です。
浄土真宗の教えでは、以前の日記でも少し紹介した蓮如上人(れんにょしょうにん)というお方が、「領解文(りょうげもん)」という浄土真宗の正しい教えを簡潔にまとめられた文章の中で、このように述べておられます。
もろもろの雑行(ぞうぎょう)雑修(ざっしゅ)自力のこころをふりすてて、一心(いっしん)に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御(おん)たすけ候(そうら)へとたのみまうして候(そうろ)ふ。
雑行とは、聖道門の修行のこと。雑修とは、さまざまな行をまじえて修行すること。
そして、ここで言われる「自力」とは、疑い心のこと。自分の力でなんとかしようという心は、阿弥陀さまの願いを疑う心なんです。
これは、ともすると自分では何もしないという無気力な救いのように思われるかもしれませんが、そうではありません。仏さまになろうと願い、そのために自ら修行をしようという心は、菩提心(ぼだいしん)といって、仏教ではとても尊ばれる心です。
しかし、しかしです。それではこの私には、はたして本当に修行を求めるような心があるのか。仏さまに成りたいと願うような心が、本当にあるのか。自分という人間を、仏さまの教えを鏡としながら、深く深くに観ていくのが仏教です。
そして、私の心の中には、修行をして仏に成ろうという心は一切なかった。そこをはっきりと聞かせていただくのが浄土真宗の教えです。そしてそこでは、「自力の心」が阿弥陀さまを「疑う心」となるのです。
また、「領解文」の中には、
たすけ候へとたのみまうして候ふ。
と、一見、こちら側から阿弥陀さまに対して「助けてくれ」とお願いをするように受け取れる部分がありますが、実はこれはそういう意味ではありません。私たちの側からではなく、阿弥陀さまの側から「必ずたすける」という呼び声をそのまま受け取り、そこをたのみにするという意味です。
つまり、さまざまな修行や自力の疑い心をふりすてて、「お前の後生の一大事、必ずたすけて仏にしてみせる。」という阿弥陀さまの願いを聞かせていただく。これが、浄土真宗の「他力」の教えです。
さて、今回は浄土真宗の教えということで、「自力」と「他力」について今、僕の聞かせていただいていることころで書いてみました。
また回を改めて、僕が今よろこばせていただいている浄土真宗の教えを、僕が聞かせていただいていることころで、紹介していけたらと思っています。
児童相談所での想い出2 -厳しい躾と輝く笑顔-
2011, 7, 15
今回は、僕が児童相談所で勤務していた時の想い出ということで、「躾(しつけ)と笑顔」というテーマで書いてみたいと思います。ちなみに、児童相談所については、2011/05/13「虐待に学ぶ親と子、そして私」という日記に、大まかな紹介もありますので、よかったら参照してみてください。
milleface.hatenablog.com
さて、それでは僕の想い出のエピソードを一つ紹介したいと思います。
ある日、児童相談所の一時保護所に、ひとりの女の子が保護されることになりました。
彼女は当時、6歳。まだ、小学生に上がる前の子でした。物静かな感じの子で、クリっとした大きな目がとても印象的でした。
それから何日か経って、彼女は支援ホームに移ることになりました。
児童相談所には、子どもを保護する施設が二つあり、一つは一時保護所。そして、そのもう一つが支援ホームでした。一時保護所は、生活の時間が細かく決まっていましたが、支援ホームは名前の通り、「家」という感じで、一時保護所よりも規則の緩やかな保護施設でした。
そして、支援ホームの勤務の日。僕は久しぶりに彼女に会って驚きました。一時保護所の時のもの静かな雰囲気が一変して、そこには、とってもおしゃべりで、元気いっぱいな女の子がいました。
緊張が解けるだけで、こんなにも印象が変わるんだなぁと驚きました。だけど、それが本来の彼女の姿なのかなぁと思うと、なんだかとてもうれしい気持ちになりました。
彼女はとても活発で、その時、支援ホームには、小学3年生の女の子と4年生の男の子の兄妹(彼女とは別)も一緒に保護されていたのですが、その子たちに向かって、あれこれと遊びの指示を出していました。
そして、大きな目を輝かせて、楽しそうに元気よく遊ぶ彼女の姿は、とてもほほえましいものでした。
また、彼女は元気で明るいだけではなく、とてもきちんとした子でもありました。他の子が遊びから帰ってきて、玄関に靴を脱ぎ捨てて入っていくのに対し、彼女はきちんと、自分の靴を揃えていました。
また、洗濯物のたたみ方も、彼女は飛びぬけて上手でした。
しかし、それには理由がありました。
彼女は、親の過剰な躾(しつけ)が原因で保護されてきた子でした。
親からの躾に彼女が応えることができないと、親は、
「そんな子は、この家の娘ではない!」
と言って、児童相談所に彼女を預けに来るのでした。
このことで、彼女は児童相談所に何度も保護されることになりました。
時には、ぴかぴかのランドセルを背負ったまま、夜の9時ごろ、突然保護されてくるというようなこともありました。
彼女は泣いていました。僕は、声をあげて泣く彼女をやさしく抱きかかえる職員さんと一緒に、傍にいることしかできませんでした。
そして、泣きやんで気持ちが落ち着くと、彼女はまた、いつものようにとびっきりの笑顔を見せてくれました。
彼女は僕に、とてもなついてくれていました。
ある日、支援ホームに行くと、彼女は一緒に保護されていた小学生の兄妹たちと共にだだだだっと走ってきて、僕に抱きついてきました。彼女たちは、得意そうに笑みを浮かべながら、
「好きな先生が来たら、こうすることにしたの!」
と楽しそうに言いました。彼女たちの行動があまりにもかわいかったので、僕はしばし、絶句してしまいました。
またある日、彼女は一緒に保護されている女の子(小学生の兄妹の妹の方)と一緒にお風呂に入っていました。僕はその間、本を読みながらのんびり待っていたのですが、突然、勢いよく脱衣所のドアが開いて、
「先生!一緒にお風呂はいろっ!」
と彼女が満面の笑みで言ってきました。だけど、その後ろで、
「ちょ、ちょっと!早く閉めて!」
ともう一人の子の慌てふためく声が聞こえて、バタンッとまたドアは閉まりました。その光景が、あまりにもおかしくって、僕はしばらく笑っていました。
ちなみに、彼女と卓球もしたことはありますが、まだ6歳ということもあり、ほとんどラリーは続きませんでした。だけど、それでも彼女ははしゃぎながら、卓球を楽しんでいるようでした。
彼女はおそらく、相当厳しい躾の元で育てられています。そのお陰で、彼女はとてもお行儀がいい。それが体に痛いほど染みついている。自然と彼女の行動の一端に現れてくる。
だけど、そんな彼女が見せてくれるもう一つの顔。とても活発で、わがままな子どもらしい一面。そこには明るく輝く笑顔がある。その笑顔を見せてもらうと、それが彼女の本来の姿なんだろうなぁというふうに感じます。歳相応に元気で明るい、目の大きなかわいい女の子。
彼女との想い出は、他にもたくさんありますが、今回はこのあたりまでにしておこうと思います。また折にふれて、いくつか僕の想い出を紹介していきたいなぁと思っています。
浄土真宗の教え1 -後生の一大事-
2011, 7, 12
今回は、仏教の中でも「浄土真宗」に焦点をあてて、「後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ)」について書いてみたいと思います。
書いていくんですが、その前に、この日記は、仏教の教えや考え方を読み手の方に押し付けるのが目的ではありません。ただ、僕自身が今喜ばせていただいている仏教、僕の場合は浄土真宗になりますが、そこのところをぜひ紹介したいなぁという思いで書いています。ですので、ご自身のペースで読んでいただければ幸いです。
さて、ではまずこの「後生の一大事」という言葉ですが、実はこれは、お釈迦さまの説かれたお経の中や、浄土真宗の開祖とされている親鸞聖人の書物の中に出てくる言葉ではないんです。
この言葉は、蓮如上人(れんにょしょうにん)という方が示された言葉です。
少しややこしくなるかもしれませんが、実は「浄土真宗」と一口にいっても、「本願寺派」「大谷派」「高田派」「仏光寺派」「興正寺派」などなど、いろんな「宗派(しゅうは)」があるんです。その中でも、僕は「本願寺派」というところに所属しています。
本願寺派は、その名前のとおり「本願寺(西本願寺)」というお寺を本山(ほんざん:宗派を取りまとめるお寺)としています。そして、親鸞聖人を第一代目の門主(もんしゅ:本山の住職)として、第八代目の門主が蓮如上人です。蓮如上人の代に、本願寺は急速に発展・拡大をしました。蓮如上人については、いろいろと紹介しておきたいこともあるのですが、今回はここでとどめておこうと思います。
そして、蓮如上人が浄土真宗の教えのお心を取りだして示された言葉が、「後生の一大事」です。
さて、それでは言葉の中身に入っていきたいと思います。
まず、「一大事(いちだいじ)」ということ。人生の中では、人それぞれ大事なものがたくさんあると思います。例えば、「家族」、「友達」、「お金」、「家」、「服」などなど、いろんなものを挙げることができます。
だけど、その「大事」という言葉に「一」がつく。つまり、「一番の大事」ということです。そして、「唯一の大事」ということでもあります。これが「一大事」です。
そして、その「一大事」は、「後生(ごしょう)」だというのです。後生とは、後(のち)の世ということ。
生まれる前の前世のことを前生(ぜんしょう)、今生きているこの世のことを今生(こんじょう)、そして、死んで出ていくあの世のことを後生(ごしょう)といいます。
(このことについては、2011/05/11「三世と六道」の日記で詳しくふれていますので、よかったら参照してみてください。)
milleface.hatenablog.com
「その後生にこそ、一大事があるぞ。」
「後生こそが一大事だぞ。」
これが、「後生の一大事」という言葉の意味です。
そして、この世で生きている今生の間に、「後生の一大事」を解決するための教えが、浄土真宗の教えです。浄土真宗の教えは、この「後生の一大事」を心にかけて聞いていく教えなんです。
よく、「死んだらみんな仏さま」というような内容の言葉を耳にしますが、実はそれは、とんでもない誤りです。浄土真宗の教えは、そのような教えではありませんし、そもそも「仏教」は、そのような教えではありません。
この私が仏になるための教えが、「仏教」です。だけど、もし「死んだらみんな仏さま」というのであれば、そもそも「仏教」という教えが存在する意味がなくなってしまいます。
以前の日記で、聖道門(しょうどうもん)と浄土門(じょうどもん)という仏教の教えの分け方を紹介しました。
(「聖道門」と「浄土門」は、2011/06/15「どうして仏教にはいろんな宗派があるのか? 」という日記で紹介していますので、よかったら参照してみてください。)
milleface.hatenablog.com
仏教の教えは、大きくこの二つに分けることが出来るのですが、そこのところで考えてみるならば、聖道門の教えは、この世の中(今生)で一生懸命修行をしてさとりを開き、仏さまになろうとする教えです。
浄土門の教えは、阿弥陀仏という仏さまの願力(がんりき)によって浄土(じょうど:仏さまの国)へ往生(おうじょう)して、そこでさとりを開き、仏さまになろうとする教えです。浄土に往生するのは、死後、つまり後生ということになりますが、そこのところを今生で(人間として生きている時に)聞き開かせていただくのが、浄土門の教えです。
つまり、どちらの教えも、「死んだらみんな仏さま」というような教えではないのです。むしろ、その背景に「六道(ろくどう)」という思想があるように、このまま死んでゆけば、それぞれの因果に応じて、六つの世界を再び迷っていくことになるぞというのが、仏教の教えです。
(「六道」については、2011/05/11「三世と六道」という日記で詳しく紹介していますので、よかったら参照してみてください。)
milleface.hatenablog.com
また、死んだ先、後生には、たった独りで出ていかなければなりません。
どんなに仲のいい友達も、やさしい家族も、一生懸命働いて稼いだ財産や、地位や名誉も、そして、自分自身のこの体も、すべてを捨てて、すべてをはぎ取られ、たった独りで出ていかなければなりません。
そして、後生には「ちょっとまった!」ができません。
今生のできごとでは、「ちょっとまって」とお願いすることができます。失敗しても、「次は頑張ろう」と再びやり直すことができます。
だけど、後生はそうはいきません。当たり前の話ですが、
「あぁ、死ぬのはもうちょっと待ってくれ。」
ということはできないのです。
この私の出ていく先にこそ、一大事があるのだと説くのが、浄土真宗の教えであり、そして、この私の出ていく先の一大事を解決するための教えが、浄土真宗の教えです。
さて、それでは最後に、蓮如上人がお書きになった「白骨の御文章」というお手紙の一節と、その訳を載せて終わりたいと思います。
されば人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
人の世のはかないことは、老人が先に死に、若者が後で死ぬとは限らないというこの世界のならいです。ですから、どの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀さまを深くおたのみ申し上げて、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えさせていただくべきです。あなかしこ、あなかしこ。